01TEXT試し読み
暗殺姫、聖女に転職する
著者:毒島リコリス イラスト:鈴ノ助
プロローグ 暗殺姫
国家とはきれいごとだけでは成り立たない。
王のおわす宮廷は一見すると煌びやかだが、その下には血と陰謀、そしてドロドロとした沼の底のような人間関係が渦巻いているものだ。
故に、彼らがいる。
「おかえりなさい、お嬢様」
「ああ、ただいま」
屋敷の裏口から帰宅したアーユイは、顔の下半分を隠していた黒い覆面を外し、同じく黒い服の襟を緩めながら風呂場に向かった。
「派手にやりましたね」
侍女のリーレイは革の手袋を着けた手で、液体がべっとりと付いている布を顔色一つ変えずに受け取る。
「『見せしめになるようになるべく凄惨に』という指令だったから」
「それはそれは。【暗殺姫】に暗殺するなと仰いますか」
アーユイはため息をついた。
「別に、暗殺が生業ってわけじゃないんだけどね……」
血みどろの服を脱ぎ、リーレイに任せて風呂場に向かった。
アーユイの実家であるアインビルド子爵家は、諜報や暗殺、粛正などを請け負う暗部の家系として、『さる身分の方々』に代々仕えてきた。
今日も、国家への反逆を企てていたとある団体を一人残らず屠ってきたところだ。
程よく温められた湯を頭から被ると、黒い髪の先から赤黒い液体がぽたぽたと落ちる。下水へ流れていくそれを、アーユイは何の感想も持たずに眺めた。
強いて言うなら、
「頭巾でも被るかな」
慣れたとはいえ、他人の血がこびりつくのはあまり気分のいいものではない。何より衛生面の心配もある。仕事着の改善を提案してみよう。
そんなことを考えつつ髪と全身を綺麗に洗い、湯船でしっかり温まってから風呂を出た。
広いダイニングには、いつもどおりアーユイ一人分の食事が用意されていた。スケジュールに合わせて作られているため、出来たての湯気が立っている。
そして上座にはアーユイの父、レンの姿があった。
「今日もご苦労だったな、アーユイ」
「いえ。いただきます」
会話とも言えない端的なやりとりをして、アーユイは食事に手をつける。人間を切り裂いて血しぶきと肉片を浴びた直後でも、食欲は衰えない。
表情一つ変えずに肉料理を頬張る姿を、レンが何とも言えない表情でじっと眺めていた。
「何か」
さすがにじろじろ見られると居心地が悪い。
切れ長の目をすいっと向けられ、レンは一瞬たじろいだ。それから、咳払いをして姿勢を正す。
「……新しい任務が来たんだが」
「はい」
わざわざ父自ら伝えに来るとはどんな大仕事だろうかと、アーユイは身構えた。
「……」
しかし、レンは何やら言いにくそうに目を泳がせる。
「何か問題のある内容ですか」
こんなに歯切れが悪い父を見るのは久しぶりだ。前に見たのは、任務中の事故で母のユイファが亡くなったのを伝える時だったか。
発言を待っていると、レンは意を決した顔でようやく口を開いた。
「……【聖女の儀】を受けろとのことだ」
「……はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げた途端、肉の塊がフォークから落ちた。べちゃりとソースが跳ねた。
アーユイたちが所属するエンネア王国では、ピュクシスという神への信仰が国教として根付いている。
聖女とは、そのピュクシス神から寵愛を賜った者のことだ。
歴史上、未婚の若い女性が選ばれた例が多いため、国内に籍を置く女性は成人前に必ず一度は教会を訪れ、神への顔見せをする【聖女の儀】を行うことが義務づけられている。
ちなみに十八歳で成人なので、現在十七歳のアーユイは確かに、次の誕生日までに聖女の儀を受けなければならない。
「いや、でも私は……。しなくてもわかるでしょう」
何しろ、人の命を刈り取ることで飯を食っている家だ。土地を浄め人々を癒やす聖女様とは正反対の位置にいる自覚がある。
「死神や悪魔ならわかりますが、神に好かれるということはまずないかと」
しかも正直なところ、信仰心は風呂いっぱいの湯に落とした汗の一滴よりも薄い。レンも同様なので、教会に最後に行ったのは母の葬式の時だ。
「私もそう思うが……。形だけでも参加しておかねば、例外というのは目立つから」
アインビルド家は、表向きにはただの下級貴族だ。
辛うじて貴族街の端の端にこぢんまりとした屋敷を構えてはいるものの、その暮らしは裕福な平民と大差ない。
「なるほど……。確かに、目立つのは避けねばなりませんね」
特殊な身分から顔を知られていない方が都合が良いため、レンもアーユイも病弱ということにして、社交の場にはほとんど顔を出さないようにしていた。
「この間も、特別扱いされていると勘ぐられたからな……」
国内の貴族は必ず顔を出さねばならないという行事でも免除されることが多いため、ごくごく一部の勘の良い者から訝しがられたことがあった。
「そういうことだから、サッと済ませてこい」
「わかりました」
確かに厄介な任務だ。アーユイは神妙な面持ちで頷いた。
「儀式はいつですか?」
「今週末だ。他に予定は入れないでおくから、終わったら久しぶりに羽を伸ばしてくるといい」
「ありがとうございます」
儀式の内容は知らないが、国内の女性に総当たりで行うということは、さほど難しくはないはずだ。自分以外にも複数人参加するだろうし、流れ作業で数分もかからずに終わる可能性だってある。
普段の任務のように失敗したら死ぬというわけでもなし、手早く済ませようと、アーユイは気軽に考えた。
─それが全ての始まりだなんて、父と娘は思いもしなかった。
