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元サレ妻のヒロインは、ひとりで竜を倒したい~浮気者の攻略対象者には頼りません~ 1
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元サレ妻のヒロインは、ひとりで竜を倒したい~浮気者の攻略対象者には頼りません~ 1

著者:風見くのえ イラスト: くにみつ

プロローグ
 その日は、雨だった。シトシトと冷たい雨が、服を濡らし肌に張りつく。
 コトンと落ちた傘が、コロコロと歩道を転がって視界から消えた。
 ─ようやく離婚できたのに。
 今まで経験したことがないほどの痛みと、こみ上げる悔しさで、私の思考は真っ赤に染まる。
「あんたのせいよ! あんたがいるから、彼は私のところに来てくれなくなったのよ!」
 ヒステリックな叫び声が、ガンガンと頭に響いた。
 雨でも流しきれない血の滴る包丁を握った女は、いつも綺麗にセットしている髪をグシャグシャにしている。すかした女のそんな姿が、たまらなく滑稽だ。
 こんな状況じゃなかったら思う存分嘲笑ってやったのに。
 残念なことに、今の私は倒れたままピクリとも動けない。
「キャー! 人殺し!!」
「誰か、救急車を呼んで!」
「いや、警察だ!」
「こいつっ! お前がやったのか!?」
 人通りの多い繁華街で起こった突然の凶行に、通行人は大騒ぎ。私を刺した女は、あっという間に数人の男に囲まれて、濡れたアスファルトに頭を押しつけられ動きを封じられた。
「放せっ! 放しなさいよ!! 悪いのはあの女よ! 私は悪くないんだからっ!」
 ハハッ……どの口がそれを言うの? そもそも、私の夫─いえ、もう離婚したから元夫ね。あのクズを寝取ったのはあなたでしょう?
 だから私はあいつを捨てたのよ。それを受け入れられなくて「許してくれ」と縋ってきたのは、あいつの勝手。その過程で、あいつとあなたが別れようと、そんなの私にはなんの関係もないわ。それなのに、逆恨みで私を刺すなんて!
 どうせ殺すなら、あのクズと無理心中でもなんでもすればよかったのに!
 私を巻きこまないでよ!!
 怒鳴りつけてやりたいことがいっぱいなのに、もう私にそんな力はない。
 寒くて寒くて仕方ないし視界も暗くなっていく。遠くにサイレンの音が聞こえたけれど、いつになっても大きくならないのは、なんでなの? むしろなにも聞こえなくなっていくんだけど。
 ああ、私は死ぬんだ。
 強制された静寂の中で、いやでも理解する。
 そうして私は意識を失った─たぶん死んだのだと思う。

第一章 元サレ妻は、騎士団幼年学校を目指す!

 そんなとんでもない前世を思いだしたのは、私が五歳のときだった。
 美しい花々が咲き誇るガーデンパーティーの真っ最中。
 私の目の前で、ひとりの男の子を挟んで言い争っていたふたりの女の子の片方が、もうひとりの女の子を突き飛ばし「うわぁ~ん」と泣いている。
(自分で突き飛ばしておいて泣くなんて、変なの)
 そう思った瞬間、気がついた。自分が生まれ変わったことに。
 前世で私は、浮気した夫と離婚したまではよかったが、その浮気相手の女に刺し殺されたサレ妻だったのだ。
 目の前の三人の子どもの様子が妙に前世と重なって、思いだしてしまった。
「あのクソアマ! 絶対殺す!」
 ……叫んだのが日本語でよかった。
 突如わけのわからぬ雄叫びを上げた私に、周囲は驚きの目を向けてくる。目の前で喧嘩していた子どもたちも、びっくり仰天。おかげで女の子の涙も引っこんだみたい。
「ど、どうしたのエイミーちゃん?」
 慌ててこちらに駆け寄ってくるのは、今世の私の母だ。ちょっとぽっちゃりだけど、優しくて気のいい男爵夫人。
 私の名はエイミー・リシャーク。兄姉と年の離れた末っ娘で、可愛いがられて育った甘えん坊。
 今日私は、母と一緒に家門の子どもたちの交流会を兼ねたお茶会に出席していた。
「ごめんなさい、お母さま。……私、喧嘩を止めたくて」
 先手必勝。素直に頭を下げる。別に叫んだだけで、それほど悪いことをしたわけではないと思うけど、ごちゃごちゃ言い訳して、なんと言ったのかとか追及されたら困るもの。
「そ、そうなのね。でも、急にあんなに大きい声をだすのはいけないわ。みんなびっくりしちゃうでしょう?」
「はい。ごめんなさい。……皆さまも申し訳ありませんでした」
 ぺこりと重ねて謝れば、母はホッと息を吐いた。隣で一緒に頭を下げてくれる。
 周囲も戸惑いつつも収まった。五歳の子どもの奇声に目くじら立てるのも大人げないものね。
「私、ちょっとあっちで休んでいます」
 誰もいない木陰の子ども席を指させば、母は「ひとりで大丈夫?」と心配そうに聞いてきた。
「はい。……恥ずかしいから、ひとりがいいです」
 もじもじしながら上目遣いで見つめれば、母は優しく頭を撫でてくれる。
「そう。だったら今日は早めに帰りましょう。……挨拶だけ済ませてくるから、それまでいい子で待っていてね」
 もう一度私の頭を撫でてから、母は離れて行った。
 その後ろ姿を見送ってから、私はトコトコと席に近づく。子どもサイズの椅子は、予想よりも大きかったが、それでもなんとかひとりで座ることができた。
 肘をテーブルについて、顔を深く覆う。淡いピンクの髪がひと房顔の脇に垂れた。
「はぁ~」
 ちょっと、子どもには似つかわしくないため息が漏れてしまう。
(異世界転生とか、漫画や小説の中だけじゃなかったのね)
 驚きと思いだした前世への憤りで、思考がぐるぐると渦巻いた。
 まさか自分があんな女の凶刃に倒れてしまうなんて思わなかった。これでも、空手や少林寺拳法を習っていて、そこそこ強さには自信があったのに。死ぬ一年前くらいから離婚裁判やらなんやらで、いろいろ忙しく訓練をさぼっていたツケが回ってきたのかな?
 ……いや、あんな人通りの多い大通りで襲ってくるなんて、予想できないもの。あの女が、非常識すぎたのよ。私は、断じて悪くないわ。絶対!
 とはいえ私も、無事に離婚できたし元夫には接近禁止命令が出たしで、油断していたのよね。
 ああ~、クソッ! 悔しい~っ!!
 また叫びだしそうになって、慌てて唇を噛んだ。大きく深呼吸をして、心を静める。
 今さらどうにもならない前世を思いだして、歯噛みしている場合じゃないもの。
 小さな拳を握りしめる。
 ─そう。前世もなかなかにハードな人生だった私だけど、転生した今世も気を抜けない人生になりそうなのだ。思いだした知識に、顔が引きつる。
(エイミー・リシャークって……娘がやっていた乙女ゲームのヒロインじゃない?)
 私は、絶望と共に深く項垂れた。
 前世の離婚裁判は、大変だった。時間も費用もかかったし、なにより精神的負担が大きかったのだ。元夫の浮気には決定的な証拠があったし、私たちの結婚生活が破綻していたのも周知の事実。私としては、さっさと離婚できるのなら協議離婚でも調停離婚でもよかったのに、元夫は最後まで「離婚しない」と言い張った。
「二度と浮気はしない!」
「許してくれるなら、なんでもする!」
「お願いだから、捨てないでくれ!」
 泣いて縋られたが、今さらだ。
 自分で浮気しておきながら阿呆抜かすな! と、突き放し続けてようやく離婚を勝ち取った。
 一年にも及ぶ長い裁判中、意外と思われるかもしれないが、なにより辛かったのは待ち時間だ。実際の裁判はもちろん、弁護士との打ち合わせや関係者との話し合い。そのすべてが予定どおりスムーズに行われるわけではなく、場合によっては一、二時間待たせられることもざら。
 ただでさえ疲弊している心に、無駄にすぎゆく時間は耐え難かった。
 そんな私につき合ってくれたのが、娘─万葉だ。二十歳の大学生で大のゲーム好き。
 私につき合いながらも、スマホの乙女ゲームをやっていたほどに。
 ……いや、私としては、ゲームなんてしてないで私と会話してよ! と思ったわよ。でも、傍にいてもらえるだけでも助かったのは事実。あまり強く文句が言えなかった私は、自然に万葉と一緒に乙女ゲームの画面を覗きこみ、話を聞くことになったのだ。
『ヒロインのエイミーは、聖女の力を持つ男爵令嬢なの。この世界には邪竜がいて、数百年に一度目覚める邪竜を、攻略対象者たちと協力して封印するゲームなのよ』
 画面に映るゲームのヒロインは、淡いピンク髪のどこからどう見ても十代の少女。攻略対象と称されるイケメンたちも、どんなに上に見積もってもせいぜい二十歳にしか見えない細身の若者たちだ。
『こんな子どもに邪竜の封印をさせる国って、倫理的にどうなの?』
 心配して質問した私に、万葉は呆れたような目を向けてきた。
『乙女ゲームのヒロインやヒーローが、三十代や四十代のおばさんやおじさんだったら、ゲームが売れないでしょう? もうっ、ママは余計なことを言わないで黙って見ていてよ!』
 まあ、言われてみればそれもそうなのかもしれない。所詮ゲームに、現実の合理性や論理的かどうかとか追求するのも無意味か。
 スマホの画面の中では、ヒロインが無邪気に愛嬌を振りまき笑っている。
(ま、いっか)
 そう思って、黙って見ていた乙女ゲームのヒロインが、今の私だった。
 目の端に映るピンク髪をそっと摘まむ。髪色と名前と親の爵位が同じだけで、まるっきりの別人って可能性は─あまりないわよね?
 もう、ため息しか出てこない。なにが最悪かって、自分がヒロインだってことよ! 浮気されて離婚したおばさんに、恋愛ゲームなんてできるはずがないでしょう!
 もう、私は恋も愛もお断りなのに!
 だいたい、攻略対象者には、それぞれ婚約者がいるのよね? なのにヒロインと恋愛するなんて、それって間違いなく浮気でしょう?
 私は、この世のなによりも浮気男が嫌いなの! ゴキブリより、ヘビより、お化けよりも!
 絶対私はヒロインなんてならないわ!
 これだけは、確定路線よ。あとは、そのためになにをするかよね?
 そよそよと爽やかな風が木陰を吹き抜けていく。
 キャッキャと、無邪気な子どもたちの声が聞こえる席で、彼らと同年代のはずの私は、どうすればヒロインにならずに済むかを、うんうん唸りながら考えたのだった。
 乙女ゲームによれば、邪竜の復活は、既にはじまっているらしい。邪竜の封印石に変化はないが、邪気が大地を通して世界各地に広がって、少しずつだが年々魔獣の出現率が増えている。
 十年後に邪竜は完全復活し、呼応するように私も聖女の力を発現させる……みたい。
 とはいえ、力を発現したばかりの少女をいきなり邪竜にぶつけても、勝てるはずもない。このため、国は聖女を王立学園に入学させ、そこで力を学ばせ研鑽させると同時に、聖女が自分の力を付与できる人材を探させようとした。自ら剣を振るえぬ聖女は特定の騎士を選び、その者に聖力を付与し戦わせる。彼らは、聖騎士と呼ばれ歴史に燦然と名を残していた。
 この聖騎士候補が、乙女ゲームでいうところの攻略対象者たちである。
 ─て、全部万葉からの受け売りなんだけど。
 国に、そんなつもりはなかったのかもしれないけれど、年頃の男女が親しくなれと言われ行動を共にすれば、恋だの愛だのに発展するのは、予測できないことじゃないはずよね。
 だったら、そうなったとしても問題ない人材を選べばよかったのに、どうして攻略対象者にはもれなく婚約者がついてくるの?
 明らかな人選ミスでしょう!
 そもそもの話、聖女の力を研鑽させるためならば、どうして国は聖女を王立学園なんかに入れたのかしら? 欲しいのは戦う力を持つ人材なんでしょう。だったら騎士団とかに入団させた方が、ずっと問題なかったはずなのに。
 そっちの方が、即戦力になりそうな騎士がいっぱいいたわよね?
(まあ、でも国の思惑もわからないでもないわ)
 前世の記憶を持つ五歳児の私は、そう思う。
 なにより聖女の力は魅力的だもの。聖属性の付与魔法に結界魔法、特に回復魔法なんかは、喉から手が出るほど欲しいに決まっている。それを、純真な少女が持っているのだ。あわよくば手に入れたいと思う者が大勢いたに違いない……権謀術数が渦巻く王宮なんかには、特にね。
 学園に入学すれば聖女も一学生にすぎなくなる。学生はみな平等なんていう建前で近づくことも簡単にできるだろう。
 聖騎士にまでは選ばれなくとも、我が子を聖女の友人にさせようと企む親は、多そうだわ。
 まあ、そんな裏事情はまったくなくて、単に乙女ゲームだからっていうご都合主義かもしれないけれど。
(どっちにしろ、そんなものにつき合ってやる義理は、どこにもないわよね?)
 幸いにして、今の私は、まだどこにでもいる普通の貴族令嬢だもの。国の思惑に振り回される心配はないし、自分で自分の進路を選べるわ。
(私が入るなら、騎士団一択よ)
 幼い内から騎士団に入団し、体を鍛え自ら戦える力を得れば、邪竜が復活しても攻略対象者なんていう浮気男の力を借りなくて済むんじゃないかしら?
 問題は、末娘を猫可愛がりしている両親が、騎士団への入団を許してくれそうもないことだけど……。それだって、やり方によってはどうにでもなる。
 そう思った私は、自分の未来から浮気男を排除すべく計画を練るのだった。
 そして─。
「お父さま! 私、騎士団に入りたいです!」
 うららかな春の陽が差しこむ我が家の談話室で、私の言葉を聞いた父は白目をむいた。
「エ、エ、エイミーが! 私の可愛い娘が! 騎士団だって?」
 素っ頓狂な声が、部屋中に響く。
 父は、私と同じピンク髪のいわゆるイケオジだ。高身長に高学歴。男爵だけど手広く商売もやっていて、おかげで我が家は高位貴族並みの裕福な生活を送っている。談話室内の家具も調度品も、うちの商会の高級品で王家の御用達にもなっているものばかり。
 押しも強く立派な父の弱点は、母と私。ほんわか穏やかで優しい母と、甘えん坊の末娘の前では、父の威厳は跡形もない。
 まあ、ここまでなくなったことは、はじめてだと思うけど。
「どうして? なんで、騎士団なんだ!」
「カッコイイからです!」
 悲鳴のような父の質問に、私は即答した。
 父は、絶句する。
「……………………そ、そうか。た、たしかに騎士さまはカッコイイからな」
 しばらくしてようよう発した父の声には、微かに安堵の響きがあった。私の「カッコイイ」発言で、騎士になりたいというのが、いつもの気まぐれだと思ったのだろう。
 ここで、もう一押し。
「もちろん、今すぐ騎士団に入りたいというわけじゃないの。だって私はまだ五歳ですもの。騎士団への入団は、どんなに早くても十八歳からだってことくらい、知っているんですよ!」
 ちょっと自慢げに言ってみる。
 父は、ニコニコと笑いだした。
「そうか、エイミーは賢いな。さすが父さまと母さまの子だ」
「フフ、そうでしょう? だから私、剣を習いたいんです! 今から剣のお稽古をして、十三歳になったら騎士団幼年学校に入るの!」
「騎士団幼年学校……」
 笑顔を引っこめた父は、難しい顔で考えはじめた。
 騎士団幼年学校とは、文字どおり将来の騎士を育てるための教育機関だ。十三歳から入学可能で、期間は五年間。三年修了時には士官学校への進学も可能となる。
「お父さま、私に剣の先生をつけてください。私、エイヤッ! って、剣を振り回すカッコイイ女騎士になりたいんです!」
 我ながら子どもっぽいおねだりだった。騎士というものは、そんなにカッコイイばかりじゃないとか、剣の稽古だって大変なのだとか、ツッコミどころは満載だろう。
 しかし、ジッと考えた父は「いいだろう」と頷いてくれた。
「エイミーが剣を習えるようにしてあげるよ。ただし、他のお勉強や習い事もちゃんとするんだよ。あと、痛かったり苦しかったりしたら、無理しないこと。いつでも止めていいからね」
「は~い! お父さま、ありがとう! 大好き!」
 私が飛びつけば、父は嬉しそうに相好を崩した。
 どうやら父は、頭ごなしに否定して私に「お父さまなんて大嫌い!」と言われる危険よりも、とりあえずやらせてみて、厳しい訓練に音を上げさせて、私が自ら「止めたい」と言いだす方に賭けたらしい。
 それは非常に賢明な判断だ。もしも私が前世の記憶を取り戻す前であれば、父の思惑どおりになる可能性は高かったと思われる。
 私は、しめしめと心の中でほくそ笑んだ。すべて計画どおりだ。あとは、八年後に向けて努力して、なんとしても騎士団幼年学校に入るのみ。そしてその後は騎士団に入団して、ひとりで邪竜に立ち向かえるだけの実力をつけるのだ。
 私に、攻略対象者はいらないわ! 次なる目標に向かい、拳を握る。
 メラメラと燃え上がる私の決意とは裏腹に、窓から差しこむ光は柔らかだった。
 その後、父は約束どおり私に剣の師匠をつけてくれた。
 赤い髪が麗しい師匠は、結婚して引退した女騎士。なんと現役時代は、王妃の護衛もしたくらいの実力者らしい。名前は、フラン・スカル。二男一女を出産後、そろそろ外へ働きに出たいと職を探していたそうだ。
 さすがお父さま。騎士になることには反対でも、娘につける教師には最高の人材を選ぶあたり、親馬鹿が突き抜けている。
 父には礼儀正しく接していた師匠は、私とふたりっきりになると態度を変えた。ジッと私を見つめ、ニヤリと笑ったのだ。
「五歳の貴族令嬢が、騎士団幼年学校に入りたいから剣を教えてほしいなんて、どんなに甘やかされたわがまま娘かと思ったけど……なかなかいい目をしているじゃない。少しはモノになりそうね」
 お眼鏡に適ったのなら幸いだ。
「よろしくお願いいたします」
 深々と礼をすれば「まあいいわ」と声がした。
「リシャーク男爵には、適当に稽古をつけてくれればいいと言われているんだけど、あなたはどうしたい?」
 師匠は、どこか楽しそうに聞いてきた。
「基礎からしっかり教えていただきたいです!」
 もちろん私の答えは決まっている。
「基礎から? そうなるとかなり厳しくなるわよ?」
「覚悟の上です!」
 私の最終目標は、ひとりで邪竜討伐なのだ。基礎訓練くらいで怖じ気づいてなるものか。
 決意をこめた目で見つめれば、師匠は華やかに笑った。
「わかったわ。なら私も本気でいくわね」
 とても綺麗なのに、獲物を見つけた猛獣のように見えたことは……言わないでおこう。
 ─そして、あっという間に八年がすぎた。
 師匠の本気は……すごかったとだけ、言っておこう。私がなんとか食らいついていけた理由のひとつは、絶対浮気男の世話にはならない! という強い意志があったせい。
 そしてもうひとつは、予定よりもずっと早く覚醒した聖女の力のおかげだ。
(邪竜の復活がはじまっているってことだから、ひょっとしたらって思ったんだけど……無事に発現してよかったわ)
 その際、役立ったのは前世で修めた空手の型や少林寺拳法の鎮魂行。いずれも心や体を研ぎ澄ますためのものなのだが、自分の中に眠っていた聖力を引きだすことに、大いに力になった。
 これには、師匠も驚いていた。魔法の発現は、普通十四歳からなのだそうだ。だからその前なのも驚きなのに、覚醒したのは聖属性魔法だったんだもの、当然ね。
「ふてぶてしいし、普通の子じゃないと思っていたけど……まさか聖女だとは思わなかったよ」
 ちょっと、ふてぶてしいってなによ?
 睨んでいれば、赤髪をかき上げた師匠は、真面目な顔で「このことは誰にも言っちゃだめだ」と言った。
 もちろん元よりそのつもりだ。毎日訓練をつけてもらっている師匠には、隠しておけないと思ったから話したけど、このあと口止めをするつもりでいたんだもの。
 それを師匠の方から他言無用と言われるなんて思わなかったわ。
「どうしてですか?」
「聖女だなんてわかったら、即王宮や教会に取りこまれてしまうからよ。その歳で監禁や洗脳なんてされたくないでしょう?」
 …………やっぱり聖女ってそんな扱いなのね。権力者の闇を覗き見た気分。
「師匠は、それでいいのですか?」
「私はもう引退した騎士だからね。……それに、権力者の汚いやり口には、嫌気がさしているのよ。可愛い弟子が、あのクソババアの毒牙にかかるくらいなら、いくらでも黙っているわ」
 クソババアとは、ひょっとして以前護衛していた王妃のことだろうか? 詳しく聞きたいような気がするけれど……止めた方がいいわね。だって、師匠の顔がとっても怖いんだもの。
 私は、大きく頷いた。
 その後、師匠と話し合い、聖女の力は両親にも秘匿し、訓練以外では使わないことに決める。
 聖女の力で有名なのは回復魔法や結界魔法なんだけど、私が訓練に使ったのは付与魔法の方だった。自分の体を強化してよりハードな訓練をしたり、弱体化させて負荷をかけたりして能力を上げるのだ。
 反面、回復魔法はできるだけ使わないようにした。なぜなら回復魔法は、怪我や病気だけでなく体全体を正常な状態に戻してしまうものだから。
(この正常な状態ってのが、曲者なのよね。剣ダコで硬くなった皮膚とか、筋肉が発達しすぎた足とか、正常って判断してもらえない可能性があるんだもの)
 私がその可能性に気がついたきっかけは、前世で聞いた万葉の呟きだ。
『回復魔法ってMPもHPも満タンにしてくれるけど、それって消費したエネルギーを元どおりにしているってことよね? ……つまり、せっかく燃焼した脂肪も元どおりになっちゃってるんじゃない? ってことは─うわっ、ダイエットの天敵だわ!』
 このとき、万葉は夏の海水浴シーズンに向けてダイエットの真っ最中だった。だからそんな思考になったのだろう。脂肪を戻すということは、筋肉も戻るということだ。せっかく苦労してつけた筋肉を落としてなるものか!
 もちろんその辺の加減も、回復魔法を極めていけばできるようになるのかもしれないが、今の私では無理なのも事実。まあ、いずれは、完璧にコントロールする予定だけどね。
 そんな感じで、私は聖力を利用しつつ鍛錬を積んだ。同時進行で他の教養や礼儀作法なんかも習う生活は、超大変。毎日クタクタで、でも、おかげで他のことをあまり考えずに済んだ。
 元夫のことや、遺してきてしまった『万葉』のこととかね。
 クズ夫には怒りしかないけれど、万葉のことはどうしたって心配してしまうのよ。前世の私の両親は健在だし、兄夫婦も自分たちの子どもが男ばかりだったから、万葉を可愛がっていてくれていたしで、きっと大丈夫だとは思うんだけど…………やっぱり心配だわ。
 胸がギュウッと詰まって、苦しくなって、どうにもできないときに、疲れ切っているって幸せよね。泣きながらでも眠ってしまえるんだもの。
 ─そんなこんなで毎日必死になって頑張った結果、私は晴れて騎士団幼年学校の入学試験会場に立つことができた。
「大丈夫。エイミーならトップ合格確実よ」
 師匠の言葉は嬉しいけれど、ちょっとプレッシャーかな。
 まあ、落ちるつもりなんて欠片もないけれど。
 今回の受験生は、およそ二百人。合格者に定数はなく、一定以上の基準をクリアすれば、何人でも合格できるらしい。例年であれば、百人程度は受かるようなので、倍率は二倍といったところかな。貴族と平民の割合は三対七くらいで、男女比は九対一。つまり貴族女性の受験生は、ものすごく少ないってことよね。
(貴族が騎士になるには、王立学園の騎士科を卒業するのが普通だものね)
 実際、幼年学校の卒業生では、せいぜい下士官にしかなれない。途中で士官学校に進学すれば士官になることも可能だが、士官学校の試験の難しさは語り草になるほどで、あえて茨の道を選ぶ貴族は少ない。いても男爵、子爵止まりだそうだ。高位貴族でこのルートを選ぶのは、よほどの実力者か、さもなければ変人なのだろう。
(攻略対象者の騎士団長の息子も、王立学園の方に入っていたもの)
 まあ、それこそが彼の負い目になっていたわけなんだけど。
 どうも、乙女ゲームの攻略対象者とは、なにかしらのトラウマを持っているというのがデフォルトらしい。それをヒロインが克服させてあげることで好感度が上がるのだとか。
 騎士団長の息子の負い目の原因は、彼の優秀な兄だった。
 兄は、騎士団幼年学校から士官学校へ進学し、常にトップの成績を修めた剣の天才だったのだ。その兄と自分を比べ、卑下しいじけまくっていたのが、騎士団長の息子ってわけ。
(たしか、メイン攻略対象者の第二王子も、兄王子にコンプレックスを持っていたって設定だったわよね? ……まったく、乙女ゲームのヒーローって、揃いも揃って軟弱すぎるんじゃないかしら? うじうじ悩むくらいなら、自分も玉砕覚悟で士官学校に挑むなりなんなりしろって話よね。敵わないって諦めたくせに、いつまでも引き摺るんじゃないわよ!)
 やっぱり私にヒロインは無理だ。攻略対象者全員ぶっ飛ばしてしまいそう。
(私は、なにがあろうとも諦めたりしないわ!)
「午前中は筆記試験です。受験生の皆さんは、受験番号の書かれた教室に入ってください」
 つらつらと考えていれば、騎士服を着た女性からアナウンスがあった。引き締まった体型のすらりとした美人さんだ。絶対合格して、いつか私もこの女性のように受験生の案内をしよう。
 覚悟もあらたに、私は教室に入った。
 ─で、結果だけど。
 午前の筆記試験は、楽勝だった。基本的な読み書き計算と、この世界の歴史。あとは一般的な魔法の知識についての問題がだされ、どれもきちんと勉強していれば解けないものではなかったもの。
 自信満々で午後の実技試験に挑んだのだが─。
(最初に持久走を持ってくるのは、反則なんじゃないかしら?)
 持久走は順位を競うものではない。決められた距離を自分がどのくらいで走れるかを申告し、その申告どおりに走ることを目標とする競技だ。見極められるのは、精神力や我慢強さ。要は自分との戦いなのよね。
 ただでさえ受験で緊張している中で、冷静に走るのは至難の業だ。ましてや受験生たちは十代前半の子どもばかり。たいていの受験生が申告より早く走りすぎ、肩を落とす。
(まあ、私はぴったり申告どおりだったけど)
 見た目は十三歳、中身はサレ妻の私の精神力を見くびらないでいただきたい。
 その後は体力試験で、握力測定や腕立て伏せ、反復横跳びにシャトルラン等々、日本でもおなじみの項目を黙々とこなした。
(異世界も日本も、こういうものは変わらないのね)
 同じ人間なのだから、当然か。
 前世を思いだし、ちょっと感傷に浸っていれば、最後の試験になる。
 待ちに待った実技試験は、刃を潰した剣を使った十人勝ち抜き戦だった。相手は受験生なら誰でもOKで、十人に勝ったところで、この種目はクリアとなる。
 おかげで、試験開始前から私の前には挑戦者が長蛇の列をなしたわ。
 どうやら、受験生の中で一番弱いと思われたみたい。
(なめられたものね。でも、飛んで火に入る夏の虫よ)
 こちらから行く手間が省けてよかったわ。私は、不敵にニヤリと笑う。
 ─で、つい調子に乗ってしまったの。試合開始の合図と同時に、最初のひとりの剣をひと太刀で弾き飛ばした私は、次の相手は剣と一緒に本人も吹っ飛ばしてしまう。
 まあ、そこまではまだよかったのだけど、三人目、四人目、五人目もカン! キン! ガッキ~ン! と、リズムよく叩き伏せてしまったのは……やはりやりすぎだったわよね。
 私の戦いっぷりを見た受験生が、こいつはやばいと思ったのか続々と列から離脱しはじめる。
 それでも、腕に覚えのある子どもが何人か残ってくれたんだけど、私はそんな相手に対しても容赦しなかった。六人、七人、八人、九人─そして、あとひとりで十人抜き完成というところで見回せば、私の前には誰の姿もない。
(あんなにたくさんいたのに、みんなどこにいったの?)
 仕方なく、自分から相手を求めていくのだが、私と目が合った者は、全員脱兎のごとく逃げだしてしまうのだ。
(もうっ、あとひとりなのに。どうすればいいのよ?)
 こんなことならもう少し手加減すればよかったと思ったけれど、後の祭り。
 途方に暮れていれば、背後から声がかかった。
「よければ私が相手をしようか?」
 地獄に仏とはこのことか。私は喜び「是非!」と言って後ろを振り返る。
 そして、そこでピタリと動きを止めた。
 視線の先にいたのは、やけに綺麗なふたりの少年だ。年の頃は、十六、七。ひとりは金髪碧眼で、もうひとりは黒髪紫眼という対照的な色彩を纏っている。
(……どこかで見たような容姿のような? 攻略対象者の王子と騎士団長の息子に、似ているみたい)
 いやいや、こんなところで攻略対象者に会うはずがない!
 それによくよく見れば、ふたりは騎士団士官学校の制服を着ていた。
(ということは、少なくとも私より三歳は年上ってことよね? 乙女ゲームの攻略対象者は、同級生と年下、あとは一学年上の生徒と教師だったはずだから、本人じゃないわ)
 だとすれば、導きだされる答えはひとつ。
(ひょっとして…………攻略対象者の兄ってこと?)
 騎士団長の息子にも王子にも兄がいた。どちらも弟より優秀で、彼らにコンプレックスを植えつけた存在だ。
 どうしてここに彼らがいるのだろう?
 体から、ザッと血の気が引いた。
「……あの、受験生ではありませんよね?」
 私はようよう声を絞りだす。
 金髪碧眼─おそらく、王子の兄の方がニコリと笑った。赤い唇が弧を描いて、ちょっとドキッとしてしまう。だって、薄からず厚からずで、すごく私好みの唇なんだもの。
「そうだよ。私はエドヴィン、彼はマルク。どちらも騎士団士官学校の一年生だ」
 気安い感じで自己紹介してくるけれど、姓は名乗らない。……まあ、私も王家の家名なんて言われても困るから、聞いたりしないけど。
「私たちは、君のように強すぎて対戦者が見つからない受験生の相手になるためのお手伝い要員なんだよ。私たちと戦って一定水準以上の力を見せてもらえば、十人勝ち抜きと同等と認められるんだ」
 どうやら対戦相手に困る受験生は、毎年一定数いるらしい。それに対する救済措置が彼らというわけか。非常にありがたい話なのだが、攻略対象の兄なんてできれば関わりたくない。
 彼らふたりは、ことさらに。
 私は、キョロキョロと周囲を見回した。どこかに、十人目になってくれる犠牲者……じゃなくて受験生がいないかしら? そうでなければ他のお手伝い要員でもいいんだけど。
 必死で探していれば、エドヴィンが私に近寄ってきた。
「どうしたの? 私では不足なのかな? だったらマルクでもいいんだよ」
 そっちはもっとノーサンキューだ。
「お断りします。そちらの方では絶対勝てそうにありませんから」
 エドヴィンも強そうなのだが、マルクはオーラが違う。彼の強さは、私なんかとは段違いだろう。瞬殺されるとわかっている相手と、誰が戦いたいと思うものか。
 エドヴィンは、碧の目を見開いた。次いで、先ほどまでの優しい笑みとは違う、ひと癖ありそうな笑みを浮かべる。
「ふ~ん? マルクには負けそうで、私になら勝てそうなんだね?」
 ─あ、なんか地雷を踏んだっぽい。
「いえいえ、たぶん勝てません。ただ、そちらの方へ勝つ確率が一パーセントだとしたら、あなたは三パーセントくらいかなって。そのくらいの違いです!」
 私は両手を振って否定する。一パーセントも三パーセントも、たいした違いではないはずだ。こう言えば納得するだろうと思ったのに、エドヴィンはますます笑みを深くした。
「そうか。三パーセントくらいは私に勝てると思うんだね? 面白いな。やっぱり私と勝負しようよ。大丈夫。ルールはさっき言ったとおりだから。君は私に勝つ必要はないよ。その三パーセントの根拠を見せてくれれば、即合格にしてあげる」
「おい! 勝手なことを言うな」
 実技試験のクリアではなく「合格」と言ったエドヴィンに、マルクが低い声で注意する。
「大丈夫だよ。彼女は頭もよさそうだからね。基礎体力も問題なかったし、実技がクリアできれば落ちることなんてないだろう?」
 いったい私のなにを見て、そう判断をしたの? そんな保証はいらないから、別の人を紹介してよ! そう思っていたのだが─。
「そうだね。君が私と十回剣を合わせることができたら、それで君の勝ちとしよう。この条件でどうかな?」
 エドヴィンは、そう言った。
 ─は? なに、その私をなめくさった条件?
 瞬時に頭に血が上る。プツンと心の中のなにかが切れる音がした。
 こう見えて、私は短気なのだ。ついでに、売られた喧嘩は買う性質だ。
「それでかまいませんけど、その前に私があなたを叩きのめしたら、どうなるんですか?」
 だから私はこうたずねた。
「アハハ、あり得ないことを聞くんだね? そんなことになったのなら、君を今すぐ士官学校に入学させてあげるよ」
「士官学校になんて行かなくて結構ですから、そのときはきちんと負けを認めてくださいね。子どもだから手加減したんだなんて言い訳は聞きませんよ」
「……ああ、もちろんだとも。万が一にでも君が勝てたらね」
 売り言葉に買い言葉、私とエドヴィンはギリリと睨み合う。
 我ながら大人げないと思うのだが…………いや、私は十三歳の子どもだし、エドヴィンも十七歳くらいの青年だ。子ども同士の喧嘩だし、我慢する必要はないだろう。
「おい、いい加減にしろ。さっさと試合をはじめるぞ」
 止めに入ったのは、マルクだった。先ほどの言動から見るに、彼はそこそこ常識人のようだ。
 ますます勝てる気がしない。
 私とエドヴィンは、一定距離を開けて立つと、再び睨み合った。
(見てなさいよ。吠え面かかせてやる!)
 私は─こっそり自分に付与魔法をかけた。力と敏捷性の能力を強化するためだ。
 実は、入学試験の項目に魔法を使ってはいけないなどという禁止事項はない。それもそのはず、この世界では魔法の発現は十四歳以降と相場が決まっているからだ。騎士団幼年学校の入試を受ける十三歳では魔法を使えないというのが、世間一般の常識。
 もちろん私はこの常識の範囲外だった。多少卑怯くさい気もするが……いや、勝つためには手段を選んでいる場合ではないもの! なにより、私はエドヴィンより圧倒的に弱いのだから。
「はじめ!」
 マルクの声が響いた途端、私は猛ダッシュした。強化された足で大地を蹴り、エドヴィンに肉薄する。
「なっ!?」
 エドヴィンは、驚愕の声を上げた。今まで見てきた私の動きと今の動きがまったく違っているのだから、当然だ。咄嗟に剣を構えてくる。
 私は、強化した精一杯の力で自分の剣を叩きつけた!
 ガッキ~ン! と、重く大きな音が響き渡る。
「くっ!」
 一言呻いたエドヴィンだが、見事私の剣を防ぎきった。
 私は、少し彼を見直す。
「へぇ? 今の変化に対応できるんだ? その調子で頑張ってくださいね」
「ハハ……とんだ猫かぶりのお嬢さんだったわけだ。よかった。これなら私も少しは楽しめる」
 エドヴィンはペロリと唇をなめた。
(ちょっ! それは反則でしょう!)
 思わずドキッとしちゃったじゃない。
 その隙を縫うように、今度はエドヴィンが私に斬りかかってきた。
 当然防いだんだけど、剣がものすごく重い。エドヴィンは、見た目はすらりとしているのに、この細腕のどこにそんな力があるんだろう。
 連続で三太刀。なんとか合わせた私は、飛び退って距離を取った。
(…………ハハ、やばいわ。このままじゃ負けちゃいそう)
 まあ、諦める気なんて欠片もないんだけど。こうなったら捨て身でいくしかないわよね!
 私は、付与魔法を三乗にした。三倍じゃなく三乗である。魔法に大切なのはイメージだから、倍じゃなくて乗でもいけるかと思ったらできたのだ。
 私って天才なんじゃない?
 これから自分のやることを思い、尻込みしそうな心をポジティブ思考ではね除けて、私は駆けだした。
 同時にエドヴィンも迫ってくるけれど……遅い!
 先ほどよりもグンとスピードを上げた私の動きに驚いたエドヴィンは、焦って本気で剣を繰りだしてきた。
 そう本気だ。悔しいけれど、今までの彼は、驚きつつもきちんと自分の力をコントロールしていたのである。いくら私の言動に腹が立ったとしても、十三歳の少女に本気なんてだせるはずもなかったのだろう。
(その余裕が腹立つっての…………来るっ!)
 私は、エドヴィンの本気の剣を、わざと防御せずに受けた。
 ボキッ! と、聞こえてはいけない音が、剣の当たった右腕から聞こえる。間違いなく腕の骨の折れた音だ。骨折までするとは思わなかったけど、でも好都合かも。
 ものすごい激痛に耐えながら、私は回復魔法で骨折だけを治した。打撲や他の傷はそのままだ。私が回復魔法を使える聖女だと知られるわけにはいかないから、見えるところは治さない。
「あっ! すまなっ─」
 エドヴィンは焦り顔で、その場でうずくまった私を覗きこんできた。
 私は、その喉元に左腕で剣を突きつける。ピタリ、頸動脈の数ミリ手前で刃を止めた。
 エドヴィンの碧の目が、限界まで見開かれる。形のよい唇が、薄く開いた。
「勝負あり! 勝者エイミー・リシャーク!」
 マルクが、大きな声で宣言する。─私の名前、知っていたのね。
 私は、ニヤリと笑った。
「ハハ…………ザマァ」
 ミロと、言う前に私は意識を失ってしまう。
 ああ、でも、やっちゃったなぁ。彼らとは、本当に関わりたくなかったのに。
 だって…………このふたりは、乙女ゲーム開始時には死んで存在しない人物だから。
 そう思いながら意識を失った。

Side エドヴィン(一)
 今日のエドヴィンは、朝から虫の居所が悪かった。
 昨晩侍女から、彼の母の庭園が潰されるという知らせを受けたからだ。
 エドヴィンの母は、王の側室。正室である王妃より先に身ごもってエドヴィンを産んでしまったため、王妃に疎まれ命を狙われ、耐えきれずに王都を離れてしまった。
 エドヴィンが覚えている母は、泣いているか泣きそうになっているかのどちらかで、笑っている顔なんて見たこともない。当然、笑いかけてくれたこともなく─。
 だから母の庭園が潰されると言われても、エドヴィンに感慨などあろうはずもなかった。好きにすればいいと思ったのだが……ただ、この件の裏で嗤う者を思えば、面白からぬものはある。
(間違いなく、王妃のいやがらせだろうからな)
 先日、騎士団士官学校の寮から城に帰ったエドヴィンは、久しぶりに家族の晩餐の席についた。そこで父である国王が、彼を褒めたのだ。
「士官学校の監督生に選ばれたそうだな。文武共に優れていなければ選ばれないものだと聞いたぞ。頑張っているな」
 たったそれだけの言葉。
 それでも王妃は、悔しそうに顔を歪めた。そして、この事態である。
(幼稚なのにもほどがある)
 花が好きだったエドヴィンの母の庭園には、絶滅寸前の希少品種もあると聞く。
(せめてそのくらいは移植するべきか……いや、きっとそんなことをすれば、移植先の花壇まで潰される)
 結果、エドヴィンは黙って見ているしかなくて、そのことに対し、自分で思っていた以上に我を忘れていたらしかった。
 受験生の少女の口車に乗り、鬱憤を晴らすかのように戦って、やりすぎたと気づいたのは少女の腕に模造剣を思いっきり叩きつけた後のこと。
 ハッと我に返ると同時にエドヴィンは、剣を喉元に突きつけられていることに気づいた。
「ザマァ(ミロ)」と、呟いた少女の唇を、やけに赤いなと思ったことを覚えている。
 倒れてしまった少女を慌てて救護室に運んだのだが─。
「…………え? 彼女は骨折していないのですか?」
 エドヴィンは驚き聞き返した。
 彼女を診察した医務官は、首を大きく縦に振る。
「ええ。気絶したのは怪我のためではなく、試験のストレスからくる精神的なものかもしれませんね。……とはいえ、この打撲はひどい。エドヴィン殿下ともあろうお方が、女性にこんな傷をつけられるとは」
 非難の目を向けられても仕方ない。手加減できなかったのは、エドヴィンの未熟さゆえだ。
 しかし─。
「私は、たしかに骨の折れる音を聞いたのです」
 感触もあった。あれは間違いなく相手の骨を折ったときの手応えだ。
「いいえ、骨に異常はありませんよ。よかったですね」
 よかったはよかったが、エドヴィンはどうにも納得できない。なおも医務官に確認しようとした彼の袖を、背後からマルクが引いた。振り返れば、黙って首を横に振られる。
 マルク・クロブジャーは、幼い頃からのエドヴィンの友だ。騎士団長を父に持つ武術の天才で、寡黙だが誠実で信頼のおける男。その彼が、今はなにも言うなと暗に伝えてくる。
「リシャーク男爵家に連絡しましたから、じきに迎えがくるはずです。殿下方は、お帰りになっても大丈夫ですよ」
 医務官にそう言われたが、エドヴィンは断った。
「いえ。いくら試験だったといえ彼女に怪我をさせたのは私です。謝罪したいので彼女の目が覚めるまで待っています」
「そうですか。……では、少しこの場をお任せしてもいいですか? 実は、他にも怪我をした受験生がいましてね。そちらを診てきたいのです。リシャーク男爵令嬢は、打撲以外は大きな怪我もありませんし、ご本人が目覚めればお帰りになってもらっていいですよ」
 医務官は、忙しそうに立ち上がると、そそくさと部屋を出て行った。
 患者の意識が戻らないうちにこの場を離れるのは、正直医師としてどうなのかと思うのだが、今はこちらにとっても都合がいい。
 医務官に続いて扉に向かったマルクは、廊下に誰もいないことをたしかめてから施錠し、こちらに戻ってきた。
「マルク、私は本当にリシャーク男爵令嬢の骨を折ったんだ」
 エドヴィンの訴えに、マルクも頷く。顎に手を当て、口を開いた。
「わかっている。俺にも音が聞こえたからな。あれは確実にいっていた」
「だったら、なぜ彼女は骨折していないんだ?」
 それが一番不可解だ。
 マルクは、少し答えをためらった。顎に当てていた手で唇をなぞり、やがて話しはじめる。
「折れたはずの骨が治っていること。そして、戦いの最中に急に動きが変わること。このふたつを満たす答えを俺は知っている」
 たしかに、エイミー・リシャークの動きはおかしかった。エドヴィンと対戦した途端、急に動きがよくなったし、戦っている最中も突然別人になったかのように強くなったのだ。
 視線で続きを促せば、マルクは声を潜めて囁いた。
「骨折を治すのは回復魔法。動きが変わったのは付与魔法で自分を強化したのだろう」
「え?」
「どちらも聖属性の魔法だ。それが使えるというのなら……おそらく、エイミー・リシャークは聖女だ。……そう思う」
 エドヴィンは思わず息を呑んだ。
「馬鹿な。彼女は受験生、つまり十三歳のはずだぞ」
 普通であれば、魔法は発現していない年齢だ。
「そうだな。しかし、それ以外に彼女の行ったことを説明できる理由がない。……聖女の発現が特別なのか、それとも彼女が特別なのか。……どちらかはわからないが、エイミー・リシャークは間違いなく聖女の力を使っている」
 マルクの言葉は、理に適っていた。
 エドヴィンは、急いで考えを整理する。
「……だとしたら、なぜ彼女は自分が聖女だと周囲に話さないんだ? 聖女ともなれば、国を挙げて保護し大切にされる存在なのに」
 聖女は希有な存在だ。聖属性の魔法を使える者は他にもいるが、聖女の強さは桁外れ。どんな怪我や病気も治すことができるし、それこそ伝説の邪竜でさえ聖女の助けがあれば倒すことができる。騎士団幼年学校を受験する必要などないはずなのに……。
「優れた力を持つことが、本人にとって本当に幸せかどうかはわからないだろう。……俺とお前は、それを誰よりわかっているはずだ」
 静かに告げられたマルクの言葉に、エドヴィンは知らず唇を噛んだ。
 たしかに、マルクの言うとおりだ。
 ─エドヴィンは、かなり賢い子どもだった。教えられた知識はすぐに吸収できたし、未習であっても既存の知識から推し量れるものであれば、自分で気づくことも簡単だ。体を動かすことも得意だった。さすがに武術ではマルクに敵わないが、彼は天才、比べること自体間違っている。マルクが特化型だとすれば、エドヴィンは万能型とでも言うところか。
(なにをしても褒められたから、幼い頃はそれが自慢で誇らしかったな。……そう、世の中賢く優れていることが、いいばかりではないと思い知るまでは)
 エドヴィンには、四歳下の弟がいる。エドヴィンは側室の子だが、弟は正妃の子。だから、エドヴィンは第一王子だが、王太子は弟だ。
 弟も決してできが悪いわけではないのだが、いかんせんエドヴィンは優秀すぎた。このため、弟よりエドヴィンの方が次期国王に相応しいなどと言いだす者が出てくるのは、自然の流れ。
 しかし、それをあの王妃がよしとするわけもなかった。結果エドヴィンは迫害されるようになる。七歳になるかならずの頃からだ。
 迫害を指示したのが王妃であることは、誰が見ても明らかなこと。だが、王妃の実家は強い勢力を誇る侯爵家だ。国王でさえ、敵に回すのに二の足を踏む相手に対し、優秀なだけの第一王子が敵うはずもない。
(だから私は、騎士団幼年学校に入ったんだ)
 騎士団幼年学校は、文字どおり騎士を育成する場所だ。そこに入学するということは、将来は騎士になると表明するも同然のこと。直接的ではないにしても、王位継承権争いからの離脱を内外に示したことで、エドヴィンはようやく平穏を得た。
(マルクも一緒に入るとは思わなかったが……)
 武術に天賦の才を持つマルクの生活は、憂えることなどひとつもないと思われがちなのだが、実は彼もまたその才ゆえに苦労を強いられた子どもだった。
 彼にとって諸悪の根源は、実の父である現騎士団長。武芸の才より世渡りに長けていると言われる狡猾な父親は、真の実力を持つ自分の息子に嫉妬し、危険視したのだ。
(成長したマルクが、自分の地位を脅かすことを恐れたんだろうな)
 さすがに体罰などはなかったそうだが「化け物」と呼ばれ、聞くに堪えない暴言を日常的に聞かされていたらしい。
「あの男とは、さっさと離れたいからな」
 もはやマルクが父親を『父』と呼ぶことはない。騎士団幼年学校は全寮制。入学すれば家から出られるため、マルクはエドヴィンと一緒に入学した。
 エドヴィンもマルクも、天才だと羨まれることが多い。しかし、彼らにとっては、その天から与えられた才能こそが、不幸の原因だった。
 エドヴィンたちのように、エイミー・リシャーク男爵令嬢にも、事情があるのかもしれない。騎士団幼年学校に入学し、聖女の力を隠さなければならないような事情が。
 エドヴィンは、あどけない表情で眠る少女に、あらためて視線を向ける。
「……頼まれていた幼年学校の指導役を、引き受けようと思う」
 気づけばそんな言葉を口にしていた。
 士官学校監督生になったエドヴィンたちには、幼年学校の新入生を指導してほしいという話がきている。面倒だし、複雑な自分の立場を守るだけで手一杯なため、断ろうと思っていたのだが。
 マルクが微かに口角を上げる。
「奇遇だな。俺もそうしようと思っていたところだ」
 ─そうだろうな。だって、目を離せるわけがないじゃないか。聖女でありながら、それを隠すエイミー・リシャークから。
「新学期が楽しみだな」
 マルクの言葉に、エドヴィンは深く頷いた。