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「彼女は死にました。」私はあなたの子を産みません。
Title

「彼女は死にました。」私はあなたの子を産みません。

著者:Kurakura イラスト:春が野かおる

プロローグ
 週末の夕刻。
 殆どの者が帰って静かな学園の中庭、その中心にあるシンボルツリーの側にいる男女の生徒。
 女子生徒の頬を両手で包む様に上向かせた背の高い男子生徒は、屈み込む様にゆっくり顔を寄せ口付けを落とす。
 そのまま中庭の入り口に目を向けると、そこには自分の婚約者が立っていた。胸に当てた右手を強く握りしめ、壁に添えた左手は倒れない様支えている様にも見える。
 その顔には[絶望]が浮かんでいた。

「クレア様は本日体調不良の為、欠席との事です」
 侍従の言葉にウィリアムは(やりすぎたか?)と思う。
 生徒会室の会長席に座り書類を捲りながら侍従の報告を受けていたのは、緩い癖のある金髪と美しい碧眼のオルトゥス王国王太子ウィリアム・オクトス。
 欠席と報告を受けた相手はクレア・ドケーシス。
 艶のある長い黒髪にルビーの様な赤い瞳を持つ、公爵家の一人娘でウィリアムの婚約者。
 学園の最終学年に上がったばかりの二人は十歳の頃に婚約を結んで七年程、卒業後直ぐに結婚する事が決まっている。
「お前……また何かしたのか?」
 低い声でそう問いかけてきたのはヘクター・ハーミット。
 少し硬そうな黒髪に海の様な深い青の瞳、この国の宰相を務めるブレイブ・ハーミット公爵の三男でウィリアムの側近候補、生徒会の副会長も務める。幼い頃からのウィリアムの友人で、クレア含めて三人は幼馴染だ。
「いつも通りだよ」
 ウィリアムの返答にヘクターは眉根を寄せる。
「いつも通り……また婚約者以外の子と親密にしてた訳か」
 ヘクターが非難めいた声音で言うがウィリアムは何も答えず書類を捲る。
 ヘクターはそれ以上は追及しない、そしてウィリアムも彼がそれ以上追及してこないのを知っている。
 もう同じ様な事を何度も繰り返し……その度に咎められてきたので、最近では非難も注意も無駄だと諦められている。
 何度も何度も……婚約者であるクレアを蔑ろにする様な行為を繰り返している。
 始まりは些細な事だった。
 ヘクターは宰相の息子という繋がりから、将来の側近候補として。クレアはドケーシス公爵夫人と妃陛下が学生の頃からの友人という繋がりも有り、婚約者候補として。二人は幼い頃から王城に招かれ一緒に仲良く楽しく過ごしていた。
 クレアと婚約が結ばれたばかりの頃に開かれたパーティに、三人は初めて正装で参加した。
 普段よりも一層着飾ったクレアは、二人が思わず見惚れる程に美しかった。
 王太子として挨拶を受ける間、二人から離れていたウィリアムが、いざ戻ろうと二人を探すと。クレアがヘクターに屈託のない笑顔を向けているのが見えた。ウィリアムは心に靄がかかるのを感じる。その時、どこかの令嬢が話しかけてきたので気晴らしにダンスを踊る事にした。まだクレアとダンスを踊っていないのに。ファーストダンスを婚約者であるクレアと踊らなかった事にクレアは涙目になって怒った。
「ウィリアム様とのファーストダンスを楽しみにしてたのに!」
 ウィリアムは焦って慰めた。
「ごめん! 本当にごめん!! 今日はもうクレア以外とは踊らないから!」
 そう言うとクレアは涙を拭いながら。
「……本当に?」
 上目遣いで見てきた仕草はとても愛らしかった。
 ウィリアムはクレアに好かれている自覚があったが。
(あぁ……クレアはこんなに……ヤキモチを妬くくらい僕の事が好きなんだ)
 ヤキモチという形の愛情は初めてで、クレアから感じる分かりやすい[愛情]が嬉しかった。
 そうしてクレアの後ろでつらそうな顔をしているヘクターを見てしまった。
(ヘクターはクレアの事が好きなのか……でもクレアは僕の事が好きなんだ)
[優越感]、これが危険な誘惑だった。
 クレアにヤキモチを妬いてもらいたい……ヘクターのあの顔を見たい……。
 それからウィリアムは時折、婚約者のクレアより他の令嬢を優先した。それに怒ったり泣いたりするクレアを見れば[愛情]を確認出来る。そして宥めて謝って埋め合わせをする事で『君を誰よりも優先している』と伝えているつもりだった。
 それがウィリアムなりの愛情表現だった。
「あの子が困っていたからだよ」
「君が見当たらなかったから適当な子に声を掛けたんだ」
「あの子は初めてのパーティだから親切にしただけ」
「ほら、今からは三曲続けて踊ろう」
「あの子より大きな花束を贈るからね」
「僕の瞳の色の宝石を贈るから機嫌を直して」
 そしてその会話を側で聞く羽目になるヘクターの表情で、クレアが自分の物であるという優越感に浸る、決して表情に出さない様に。
 だがヘクターはクレアを困らせる行動が、自分への見せ付けであると気付いた。だからか一年が過ぎる頃にはウィリアムとクレアのやり取りに表情を変えなくなる。しかし反応がなくてもウィリアムの[優越感]は消えない。ヘクターがクレアを想っている事に変わりはないからだ。
 ウィリアムはヘクターが嫌いな訳ではない。大事な友達でクレアを困らせる行動を戒める発言をしてくれる。ウィリアムの事もクレアの事も大切に想ってくれていると知っている。
 それでもやめられない……。
 十三歳になり三人は学園に通う。同時にクレアは妃教育が始まった。変わらずウィリアムは拗らせた行動を続けたが、その頃からクレアは表立って怒ったり泣いたりしなくなった。少し悲しげな表情で遠目に窺ってくるだけで、後日に窘められる。
「格式のある場では、形式に則った行動をお願いします……」
「人目のある所で奔放な振る舞いは困ります……」
「相手に気を持たせてしまう様な行動はお控え下さい……」
 そんな窘める様な言い回しに、ウィリアムはのらりくらりと躱す発言しか出ず。
「気をつけるよ……」
「気にし過ぎだ……」
「別にそんなつもりはないよ……」
 その後の言葉が続かない。怒ったり泣いたりしてくれたら埋め合わせの言葉を掛けられるのに。何よりクレアの反応が淡々としたものに変わっていくのを不満に思っていた。以前の様に怒ったり泣いたりの反応が欲しくて、ウィリアムの行動は少しずつ少しずつエスカレートしていく。
 そして昨日、最近懇意にしている一学年下の子爵令嬢、焦茶色の瞳にマリーゴールドの花の様な鮮やかなオレンジの髪をツインテールにした、リール・シリッカに呼び出された。
 放課後、学園の中庭で。
「私の初めての口付けはウィリアム様に差し上げたいのです……この先、どんな縁談が来てどんな方と結ばれようと……初恋はウィリアム様だったと覚えておきたいのです」
(そう言われても……)
 王太子とも有ろう者がそんな不埒な真似は出来ない。断ろうと思った時、庭園の入り口にクレアが居るのが見えた。少しずつエスカレートしていたウィリアムの奔放な行動は、加減が分からなくなっていた。
(他の子と口付けしたら流石に怒ったり泣いたりするはず……)
「……いいよ」
 クレアのヤキモチ見たさにリールの願いを叶えてしまう。
 ウィリアムが見たクレアの最期の表情は[絶望]になった。
◇
 クレアが休んだ月曜日の放課後、ウィリアムは見舞いにドケーシス公爵家を訪ねた。
(きっと中庭の一件がショックで休んだんだろう……あの表情なら今回は酷く目を泣き腫らしているはずだ)
 ウィリアムは久しぶりにクレアの真っ直ぐなヤキモチを感じられる。宥めて慰めれば自分の愛情を伝えられる。そうやってしばらく機能していなかった交流をすれば、学園に入学する前の二人に戻れると期待していた。
「申し訳ございません。クレア様は高熱を出されており、お会い出来ません」
 侍従が頭を下げてそう言った。
「そうなのか……なら仕方ないな。養生する様に伝えてくれ」
(本当に病欠だったのか)
 残念に思う一方で大切なクレアの体調を心配した。
 そうして三日経っても登園してこないクレアに、『体は大丈夫か?』と手紙を出したのだが、なんの返答もなく四日が過ぎた。
◇
「手紙の返事はきたか?」
 日曜の朝、王城の自室で従者に問う。
「ドケーシス公爵家からはございません」
 従者は頭を下げて告げる。
 こんな事は今までなかった。
(クレアの具合が悪くて無理なら公爵や夫人からでも返事があるだろうに)
 まるでウィリアムの接触を避けている様な扱いに困惑する。
(明日も欠席だったら、もう一度訪問してみよう)
 そんな事を考えていると、従者が今日の予定を続けて告げてきた。
「本日予定の公務は全てキャンセルになっております」
 一瞬何を言っているのか分からなかった。
「何を……」
「午前九時に赤の応接室に正装で来る様にと国王陛下から申し付けられております」
 従者は続けてそう言って頭を下げる。
「赤の……?」
 王城には幾つか応接室があるが、用途によって色の名を付けていて[赤]は緊急事態や最重要事項で使われる。
(一体何が?)
◇
 正装に着替えたウィリアムは何も知らされないまま赤の応接室へ向かう。
(何故正装なんだ? なんだろう……凄く嫌な感じだ)
「ウィリアム殿下が参られました」
 そう告げられ応接室の両扉が開く。
「! 何故」
 ウィリアムは中にいた面々に驚きを隠せない。
 大きく長いテーブルの上席には父である国王陛下。父の右隣には母である王妃が座っている。そして母側テーブルの右側席にはドケーシス公爵夫妻そしてクレアが順に座っていた。
(まさか婚約破棄なんて事じゃないよな)
 ウィリアムの頭に最悪の事態が過る。だがもしも婚約破棄ならば、全く関係ない面々がテーブルの左側席に座っているのが分からない。
 フラム侯爵夫妻と次女のエタンセル嬢。長い絹糸の様な銀髪に灰色の瞳の知的な美人。エタンセル・フラムはヘクターの婚約者で、その隣にはヘクターも座っていた。
(どういう状況だ? 訳が分からない)
 動揺するウィリアムに国王陛下が声を掛ける
「ウィリアム。着席を」
「あっ……はい」
 侍従が椅子を引いて待っている事に気付き、困惑の表情を隠せないまま陛下の左隣に座った。
 ウィリアムはあの中庭での出来事以来に見るクレアへ目を向ける。
(体調は回復したのか……元気そうだ)
 クレアの体調を気遣うも、中庭での件に関してちゃんと話せていない事に焦りを感じつつ、クレア以外にも目を向ける。
(なんだ……どうしてこんなに緊張感が漂っているんだ?)
 ドケーシス公爵夫妻は酷く疲れた顔で、フラム家の面々やヘクターは表情が強張っている様に見える。
 陛下を挟んでいるのでよく見えないが、母である王妃が一番酷い顔をしているとウィリアムは感じた。
 陛下が口を開く。
「此度集まってもらったのは、ウィリアムとクレア嬢の婚姻についての今後の方針を話す為である」
 ウィリアムは困惑したまま膝に置いた手を強く握りしめた。陛下の話は続く。
「先ずはヘクター……こちらの事情を汲んでエタンセル嬢との婚約解消に応じてくれて感謝する」
(なに? ヘクターが婚約解消? こちらの事情?)
 突然の話にウィリアムは目を見開き思考が追いつかない。
「いいえ、恐縮です」
 ヘクターは軽く頭を下げる。
「これを以てエタンセル・フラム侯爵令嬢は第二王太子妃となるべくウィリアム王太子と婚約を結ぶ運びになった」
 ガタタッ!
 ウィリアムは思わず立ち上がり陛下を見つめて声を絞り出す。
「何を……陛下……何を仰っているのか意味が分かりません」
 シンと静まり返った部屋に、ウィリアムの震える声だけが響く。陛下はジロリとウィリアムを見据えると低い声で。
「まだ終わっていない。座れ」
「ですが父上」
「ウィリアム!」
 動揺して口を閉じられなかったウィリアムは、強く名を呼ばれビクリと肩が跳ねる。
「座れ」
 逆らう事は許さないと言わんばかりの圧を乗せた言葉に、流石に大人しく座るしかなかった。ウィリアムが座ると再び陛下が口を開く。
「ウィリアムが学園卒業後、直ちにクレア・ドケーシス公爵令嬢との婚姻を結ぶ。その半年後、エタンセル・フラム侯爵令嬢との婚姻式を執り行う」
 意見しようとウィリアムが口を開いたが陛下の話は続く。
「その半年後。側妃を三人娶る事とする」
「……なっ」
 ウィリアムが言葉を発するのを遮る様に、応接室の奥の続き部屋に繋がる扉が開かれた。
 静々と入室して来た三人の令嬢にウィリアムは蒼白になる。三人はいずれも学園でウィリアムと親しくしていた令嬢だった。
 ティア・ラクリマ伯爵令嬢。ウィリアム達と同学年の十七歳で、薄茶の長いストレートの髪に、碧眼でおとなしい顔立ちだ。
 トリステス・エインガー辺境伯令嬢。彼女も同学年の十七歳。燃える様な赤毛の癖のある長い髪、凛とした顔立ちで黒い瞳は力強さを感じる。
 リール・シリッカ子爵令嬢。一つ下の学年の十六歳。珍しい鮮やかなオレンジの髪はふわふわと波打ち、大きいクリクリとした瞳は焦茶色。甘い可愛らしい顔立ちで、中庭でウィリアムと口付けをしていたのはこの少女だった。
 静かに入室した三人はテーブルの横に並び恭しくカーテシーをした。その顔色はとても悪く、特にリール・シリッカは微かに震えて今にも倒れそうだった。
「令嬢達には学業を自宅学習に切り替えてもらう。王城に後宮を用意出来次第そちらに居を移し、側妃教育を受ける事になる」
「どうして……」
 ウィリアムは蒼白のまま小さく呟いた。
「『どうして』か」
 陛下がウィリアムの呟きを拾い横目に冷めた眼差しを向ける。
「お前が愚か者だからだ」
 決して強くも大きくもないのに、低く地を這う様な声がウィリアムの体を強張らせる。
「楽にしてよい」
 陛下に声を掛けられた三人は姿勢を正す。ティアとトリステスは何か覚悟が決まっている様で、しっかりと顔を上げ真っ直ぐ前を向いているが、リールはこの状況を受け止められないのか、青い顔を俯かせ未だ小刻みにカタカタと震えている。
 再び陛下が口を開く。
「三年前……王家の失態を黙認してもらう代わりに、クレア嬢の望みは可能な限り最大限叶えると約束した」
 ウィリアムは青い顔を陛下に向け、続いてクレアの方を見る。
「では……これは全てクレアの望みなのですか?」
 失態という部分が気になるも、この事態はクレアの希望だという事がショックでそれどころではない。伏せた目をテーブルに向けたまま動かないクレアをウィリアムは凝視する。
(どうして……どうしてそんな願いを)
「クレア! クレア嬢と二人だけで話をさせて下さい」
 クレアに向けて名を呼ぶも、先ず許可を貰わねばと陛下に向けて願い出る。
 陛下はクレアに目を向け。
「そう申しているが……クレア嬢、どうする?」
 陛下はこの場での決定権は全てクレアに有るかの様に尋ねた。
「構いませんわ。ただ侍女のアニタと護衛のキャロルの同伴は外せません。それでもよろしければ」
 クレアはウィリアムを見る事なく陛下に向けて答えてから、直立したままの三人の令嬢に目をやり。
「休息が必要な方もいらっしゃる様ですし」
 その言葉に三人の令嬢はピクリと体を揺らし、リール嬢は益々蒼白になる。
「ではウィリアムとクレア嬢……それと供の者は続き部屋に、他の者はしばし休憩としよう。茶の用意を」
 陛下の指示で侍従達が動き出す。三人の令嬢が着席を促される中、クレアは立ち上がり両陛下に向かって礼をする。
 ウィリアムも立ち上がり両陛下に「失礼します!」と投げやりな挨拶をしてからクレアに駆け寄る。クレアの隣に座っていたドケーシス公爵夫人がにわかにクレアの手を取り。
「……レ……クレア」
 心配気に名を呼ぶ声は微かに震えていた。
「お母様、大丈夫ですわ」
 クレアは夫人の手を取りニッコリと淑女の笑みを浮かべる。
「……クレア」
 ウィリアムが手を差し出したので、クレアの手はそっと夫人から離れた。夫人の手は小刻みに震え、表情はとても悲しげで……ウィリアムの困惑と不安は一層駆り立てられる。
 クレアはウィリアムの手にそっと手を乗せ。
「参りましょう」
 ウィリアムの顔を一切見ずにそう言った。
 ドケーシス公爵は夫人の手を取り宥める様に摩りながら、ウィリアムにエスコートされるクレアの背中を見送り、苦しげに唇を噛んだ。
◇
 応接室の続きの部屋はかなり広く、豪奢な椅子やソファやテーブルが幾つも置かれ、大人数でもくつろげる様な仕様になっている。
 センターテーブルを挟む様に置かれた二脚のソファに、ウィリアムとクレアは向かい合わせに腰を下ろした。クレアの後ろには侍女と女性護衛騎士が立つ。
 城の侍女が茶の準備をしている間、ウィリアムは何から話すかをグルグルと考えていた。給茶が整い侍女が退室すると、二人は用意された紅茶に手を伸ばす。クレアが紅茶を飲み下すと、ウィリアムが口を開いた。
「クレアは……体調は……その……具合はもう大丈夫なのか?」
 その問いかけに、この日初めてクレアはウィリアムの目を見た。その瞳にウィリアムは何か違和感を感じる。
「はい。体は元気になりました。私は大丈夫ですわ」
 クレアの笑顔と言葉にウィリアムは何故か背筋が寒くなった。何かが違う……そう感じるもそれが何か分からない。違和感が何なのか分からないまま、ウィリアムは更にクレアに問う。
「先程の……父の話は本当?」
「第二王太子妃と側妃を娶るという話ですか?」
 真っ直ぐな視線を向けて聞き返すクレアに、ウィリアムは蒼白な顔で確認をする。
「……それが君の願いだと」
「はい」
「何故そんな願いを……」
「必要だからですわ」
「……何故……必要なんだ?」
「御子を儲ける為ですわ」
「! 必要ないだろう! 少なくとも今はまだ! ……側妃というのは正妃との間に子が授からなかった時に考えるものだろう! そもそも第二の妃も要らないだろう! 君が正妃で! 君が子を産み! その子が世継ぎ! それが道理だろう!? !?」
 クレアの核心を躱す様な答え方にウィリアムはとうとう声を荒げて言った。そんなウィリアムを気にも留めずにクレアは飄々と答える。
「第二妃は私の補佐ですわ……まぁいずれは彼女が正妃になるかも知れませんが……エタンセル様の事情を私からお伝えするのは憚られますが、エタンセル様は幼少の頃に事故に遭われて、それにより御子が望めないそうで。なので側妃が必要なのです」
「だからそれは!」
「あぁ……私が産めば良い。というお話でしたわね」
 そう言ってニッコリ笑うクレア。
「私は産みませんわ。だって私、貴方が大嫌いなんですもの。貴方と肌を合わせるなんて絶対に嫌ですわ」
 クレアの言い様にウィリアムは青褪める。そして違和感に気付いた……クレアの瞳には感情が籠っていない。『大嫌い』と言う割には嫌悪は感じられず、しかしかつての様な愛情も感じられない。
(どうしてクレアはこんな風に? どうしてあんな願いを? 僕は……クレア以外となんて嫌だ……ありえない! 何か……何か原因と解決策が)
 どうやったらこの事態を解決出来るのだろうと必死に働かない頭を動かし……ウィリアムは思い至る。先日の中庭での事が原因に違い無いと。
「あっ……あれだ……中庭での事を怒っているんだろう……そうだろう?」
(そうだと言ってくれ! そうすれば僕が謝罪して解決のはずだ!)
 少しの沈黙の後、クレアが口を開く。
「……そう……ですわねぇ……確かにあれが決定打でしたわね」
「……え?」
「あの日、彼女は死にました。私はクレアではありません。貴方を慕うクレアはおりませんのよ……ですので私は貴方の子を産みません」
 ニコニコ笑いながら意味不明な事を言うクレアを見て、ウィリアムは唖然として口をハクハクさせている。
「……クレアが……死んだ? ……意味が分からない……じゃぁ君は……一体誰なんだ……」
 絞り出したウィリアムの問いに、ニッコリと淑女の笑みを浮かべて彼女は胸に手を当てて名乗る。
「私の事はレイナとお呼び下さい」
 得体の知れない物を前にしたかの様にウィリアムは体が震え出した。

第1章 クレアの絶望
「あぁ……もう……無理……耐えられない……約束したのに……」
 そう呟きながらクレアは溢れる涙を止められずにいた。
 どうやって帰ってきたのか分からない……気付けば自室の鏡の前に座っていた。
◇◇◇
 私とウィリアム様は随分幼い頃から一緒に過ごしている。
 緩い癖のある金髪が太陽を反射してキラキラ光り、澄んだ青い瞳に自分が映る。
「クレア行こう」
 そう言って私を呼ぶ声。差し伸べる手。私はウィリアム様の全部全部、大好きだった。
 お父様とお母様から、ウィリアム様の婚約者候補なのだと教えられた時は嬉しくて天にも昇る気持ちだった。正式に婚約が結ばれた時は緊張で震えそうだったけど。
「クレアが婚約者で凄く嬉しい。これからもよろしくね」
 そう言って手を繋いでくれたウィリアム様の笑顔がふんわりと優しくて、私の緊張はスルスルと溶けていく。この時はウィリアム様の隣でずっと笑っていられると信じていた。
 婚約して間もなく王城でパーティが開かれた。初めてのパーティ。初めてのドレス。何もかもが初めてだった。正装したウィリアム様は凄く凄く格好良くて。そんな素敵なウィリアム様が自分の婚約者で、今日はファーストダンスを踊るのだと気持ちがふわふわしていた。
 ウィリアム様は少しの間、挨拶を受けに離れてしまわれたので、その間は幼馴染のヘクター様と話していた。ヘクター様は同い年なのに私よりずっとしっかりしててお兄さんみたい。
 しばらく経っても戻ってこないウィリアム様を、ヘクター様と一緒に探しに行こうかと動き出した時、音楽が鳴り始めて私は焦った。
(大変! ウィリアム様とファーストダンスを踊るのに……)
 と思った瞬間、見知らぬ令嬢と踊るウィリアム様が目に入った。
「……えっ?」
 踊る二人の姿を見て身体がカタカタと震え出す。
(どうして? どうして? どうして?)
 今夜はパーティの最後に婚約発表をするからウィリアム様のファーストダンスは私だって。
(約束したのに)
 気付くと庭園に飛び出していた。
「クレア!」
 ヘクター様の声が聞こえたけど私は必死に走った。
「クレア……大丈夫?」
 噴水の縁まで来て座り込む私の顔を、ヘクター様が覗き込み尋ねる。
「ううう〜〜っ」
 泣き声を出さない様にするのが精一杯で答えられない。目から涙がポロポロと溢れてしまう。
「クレア!!」
 ウィリアム様が息を切らしてやって来た。
「ウィリアム……何やってんだよ! 今日はクレアとファーストダンスを踊る約束だっただろう!」
 ヘクター様の荒げた声に。
「ご……めん」
 ウィリアム様は小さく呟く様に謝った。そんな小さな謝罪が逆に癇に障って。
「ひどい! ひどいわ!! ウィリアム様とのファーストダンス……凄く! ……凄く楽しみにしてたのに!」
 涙をボロボロと溢しながら叫んでしまった。こんな風に泣いて喚いたら困らせてしまうって分かってるけど、涙も言葉も止まらなかった。ウィリアム様は焦ったのか。
「ごめん! 本当にごめん!! 今日はもうクレア以外とは踊らないから!」
 そう言ってちゃんと謝って慰めてくれた。涙を拭いながら「……本当に?」と尋ねると。
「うん! 今日はもうクレアとしか踊らない」
 そう言ってもらってようやく私の涙は止まった。ウィリアム様はハンカチで私の涙を拭ってから、会場までエスコートしてくれた。それから何曲もウィリアム様と踊ってとても楽しかった。とても楽しいひと時だったのに……。
 パーティ終了の挨拶でウィリアム様の婚約者として紹介された時どこかから。
「でも、ファーストダンスはクレア様ではなかったわよね」
「ファーストダンスを断られたのかしら」
「ウィリアム様は本意じゃないんじゃ」
「ファーストダンスをしなかったから、その後はずっとクレア様がウィリアム様を独り占めしてたのよ。我儘なのねぇ」
「ウィリアム様は他の子とも踊りたかったんじゃないかしら」
 私は青褪めた。お祝いの言葉も沢山聞こえてるのに、耳に残ったのは貶める言葉ばかり。王城から帰る為に馬車乗り場まで歩く間も、貶める言葉が頭の中をグルグル回る。
「ハァ……」
 思わずため息が溢れてしまった。お見送りについて来てくれてたウィリアム様は、私がまだファーストダンスの事を気にしてると思ったみたい。私の耳に顔を寄せて。
「次のパーティの時は必ず一番最初に踊ろう」
 コッソリとそう言った。私は赤くなる耳を押さえながら頷くけど。
(でも……もうそれはお互いの初めてのダンスじゃない)
 心の中ではそう思っていた。
◇
 あの王城でのパーティから、ウィリアム様は少し変わった気がする。婚約する前はもっと気遣ってくれてたと思うのに、私の思い違いだったのかしら。だってあれからウィリアム様は、度々あまり知らない令嬢に凄く優しく接する。元々優しい方だったけど……優しいのは良い事だけど……私はそれが凄く嫌だった。私が我儘だからそう思うのかな……。
◇
 とあるパーティに招かれた時、ウィリアム様は私をエスコートして入場した後、突然手を離して再び入り口に戻った。そして全然知らない令嬢の手を取って入って来た。
 ─凄くショックだった─
「あの子が困っていたからだよ」
 どうやらその令嬢は、会場にご父君が先に入ってしまい困っていた様で、それに気付いたウィリアム様が助けてあげただけ。
「誰か他の人に頼んでも良かったじゃない……」
 私が涙目でむくれると。
「! そーだね! ごめん! 人にご父君を探させても良かったのに……ごめんね!」
 ウィリアム様は一生懸命謝ってくれた。謝ってくれたからもうよかったのに……。
「クレア様のエスコートが嫌だったんじゃない?」
「少しの間でも一人残されたら可哀想ね」
「ウィリアム様の優しさなのに、クレア様ったらお心が狭いのね」
「独占欲が強いのかしら」
 また貶める言葉が聞こえる。
◇
 王妃様主催のバラの観賞会。自由に花を摘んでいいエリアでは、子供達がブーケ作りを楽しんでいる。そして作ったブーケは身内や婚約者に贈る。当然ウィリアム様は私に下さると思ったのに、見ず知らずの令嬢に渡していた……。
 私は作りかけのブーケを握りしめて堪えてたけど、一雫涙が溢れてしまった。
 青褪めた王妃様とお母様は、侍女に私達を休憩室に下げさせた。部屋に入ると私は蹲 って泣いてしまった。
「ごめん! ごめんよクレア……あの子が『私は婚約者が居ないから、誰からも貰えない』って言ってたから……本当にごめん! これからあの子のより大きな花束を作って贈るよ! だから……ね……機嫌を直して」
 私は機嫌が悪い訳じゃない……悲しいだけ……。
 王妃様とお母様は会場のご婦人達に、ウィリアム様はブーケは身内か婚約者に渡すという不文律を知らなかったと伝えたみたいだけど、きっと誰も信じてない。
「クレア様にブーケを渡すのがお嫌だったのね」
「クレア様は婚約者に相応しくないと思ってらっしゃるのでは?」
「より大きなブーケをだなんて、ウィリアム様も大変ね」
「ウィリアム様、振り回されて可哀想」
 貶める言葉が頭にこびりついて離れない。
◇
 王妃様がウィリアム様に注意してくれたけど、ウィリアム様は度々他の令嬢を気に掛ける。
「ごめんね……あの子は初めてのパーティだから親切にしただけなんだよ」
 直ぐに謝ってから私のご機嫌を取る。
「ほら、今からは三曲続けて踊ろう」
 ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ……。
 そして私は貶める言葉に取り囲まれる。
 繰り返し……。
「君が見当たらなかったから適当な子に声を掛けたんだ」
 繰り返し繰り返し……。
「僕の瞳の色の宝石を贈るから機嫌を直して」
 ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソヒソヒソヒソヒソ……。
◇
 十三歳になり学園に入学すると同時に私の妃教育が始まった。学園の授業のあと王城に赴き、王族として妃として必要な事を詰め込まれる。王城は好き。侍従達は丁寧に対応してくれるし、どこからも私を貶める言葉が聞こえてこないから。
 学園の勉強も難しいけど妃教育も難しい。何人もの教師の方々から色々な事を学ぶ。殆どの方は厳しくも優しく私を導いて下さる、ただ一人を除いて……。
 リセンス・ブレーニー侯爵夫人。王国や王家の歴史と儀礼・式典の成り立ち、手順・進め方等、主に座学なのだけど。
「違います!」
「ダメです!」
「間違ってます!」
 ちょっとの間違いで厳しい注意をされる。私が間違ったのがいけないんだけど……だから自宅でも予習復習をきっちりして、三ヶ月経つ頃には殆ど間違わなくなった。するとブレーニー夫人は、たった一問の間違いを執拗に責める様になった。
「王妃に立つ者は一つのミスが周りに侮られる要因になるのですよ! しっかりしてもらわねば困ります!」
「きちんと学んでもらわねば、私の指導が悪いと言われてしまうのですよ!」
「何故完璧に出来ないのですか! この私が教えているのに!」
 最近はブレーニー夫人の言ってる事が理不尽に感じる。
◇
 ウィリアム様の優しさは学園に入学しても続いてる。でも私は表立って怒ったり泣いたりしてはいけない。その様に妃教育の教師が言うんだもの。
 遠目に見て……目が合って……頑張って悲しげな顔をしてるつもりなんだけど、ウィリアム様はやめてくれない。
◇
「ハァ……本当にいつまで経っても完璧になりませんね」
 今日もブレーニー夫人が怒っている。本当に本当に小さな間違いなんだけど、王妃になる者には許されないのですって。夫人が机に向かって座る私の横に立った。
「両掌を上に向けて机に置きなさい」
「?」
 私はおずおずと手を机の上に置いた。
 バシンッッ。
「いっ!!」
「声を上げてはいけません」
 耳元で夫人が私に注意する。
「いかなる時も声を上げてはいけません……王妃になるのですから」
 掌を見ると真っ直ぐ一本の線を引く様に赤くなっている。私は目に涙を浮かべてカタカタと震えた。チラリと横に立つ夫人を見ると、手に細い細い指示棒を持っていた。
 バシンッッ。
「! ッ」
 唇を噛んで声を出すのを我慢する。体の震えが止まらない。
「紛争で囚われた王族は拷問を受ける事もあります。そんな時も王族の威厳を以て堪えなければなりません。あなたは王妃になるのだから」
 バシンッッッ。
「─!」
 三回叩かれた……。
「私だって仕方なくやっているのです」
 そう言って氷でいっぱいのティーポットを持たされた。
(冷たい……)
「クレア様が不出来だからお仕置きをしたのです」
「……」
「このお仕置きの事は話さない様に。お仕置きされる程不出来だと知られたく無いでしょう?」
「……」
「お返事は?」
「……はい」
 ブレーニー夫人の授業がある日は足が竦む。全身に冷や汗が出て気持ちが悪くなる。でも休む訳にはいかない……。
◇
 学園では、ウィリアム様と選択してる学科が違うからあまりお会い出来ない。それでも時間の合う時は昼食をご一緒する。ほんの少しの時間でもウィリアム様とお話し出来て嬉しい。
「学園では授業、王城では王政の勉強、目が回っちゃうよ。クレアは学園には慣れた?」
「はい。仲良くして下さる方々も出来て楽しく過ごせてますわ」
「……なんか……話し方が丁寧になったね」
「はい。妃教育の教師方にも褒められるんです」
「……凄いな……頑張ってるんだね」
 ニッコリ笑ってそう言ってくれた。
(ウィリアム様が褒めて下さった。頑張って良かった……)
「クレア?」
「……あ……あの」
「「ウィリアム様─」」
 何人かの令嬢が話しかけてきた。
「昼食がお済みでしたら勉強を教えて頂けません? 解らない所があって〜」
「うん。良いよ」
 ウィリアム様はそう言ってチラリと私を見た。私はニッコリと微笑むしかない。だって私に意見を求められてない。
「……じゃあクレア。またね」
「「クレア様。失礼します」」
 笑顔を貼り付けたまま頷く。
(ハァ……行ってほしく無かったなぁ……ブレーニー夫人の事も話したかった)
「クレア様……いいんですか?」
 学園で仲良くなった令嬢達が話し掛けてきた。
「いいのよ……だってウィリアム様が『良いよ』ってお返事してるんだもの」
 私は令嬢達に囲まれるウィリアム様の背中を見送った。
◇
 相変わらず授業の最後にはブレーニー夫人からお仕置きを受けるけど、もう慣れた。慣れてしまえば痛いのも簡単にやり過ごせる。ちょっとボーッとしてる内に、いつの間にか氷入りのティーポットで手を冷やしてる。
 でも今回は違った。気付くと私は知らない天蓋を見つめていた。
(知らないベッド……)
 ぼんやりしてたら頭がズキンと痛んだ。そっと頭を触ってみると包帯が巻かれている。
「頭が痛い」
 ポツリと呟くと。
「クレア!!」
 お母様の叫ぶ声が聞こえた。
「お母様?」
「あぁ! クレア!! 良かった……良かった」
 お母様は駆け寄り私の手を握って物凄く泣いている。
「? ……なに? 何があったの? ……ここはどこ?」
「あなた……覚えてないの?」
◇
「頭に受けた衝撃で前後の記憶が曖昧になったと思われます」
 ここは王城で、専属医のリッター先生がそう言った。
「あなた……ブレーニー侯爵夫人に殺されそうになったのよ」
「えぇ!?」
 お母様にそう告げられ驚いているところへ、お父様がやって来た。
「クレアーーーー!」
「お父様!」
「クレア! クレア!! あぁクレア……可哀想に……怖かっただろう」
 お父様の大きな手が包帯を巻かれた頭に、触れるか触れないかの距離で添えられる。涙目のお父様にお母様がお医者様の言葉を伝える。
「あなた……クレアは覚えてないんですって」
「そ! そ……れは……クレアは大丈夫なんですか?」
 お父様はお医者様に尋ねた。
「頭に受けた衝撃で前後の事を覚えていないのは、よくある症状なので。記憶に関して、思い出すかどうかは、私にも確実な答えが有りません」
「あぁ……思い出さなくって良い。恐ろしい記憶なんて無くていい」
 お父様は慎重に寝たままの私を抱きしめてそう言った。
「頭の怪我は出血の割に傷は浅く、小さな傷が残りますが髪の毛の中なので目立たないでしょう。首の痣は一週間もすれば綺麗に消えると保証します」
「痣? 首の?」
 お父様が体を離し私の首を見る。私はそっと手を首にやると包帯が巻いてあった。
「あの女……殺してやる」
「やめてあなた!! クレアの前よ! とにかく、今はクレアを休ませましょう。ですよね?」
「はい。丸一日意識が無かったのですから。頭の怪我は後々症状が出る事もあります。必ず誰か人を付ける様に致します。傷を見ますので御両親は外して頂けますか?」
「はい。あなた、行きましょう」
「そうだな。それに……クレア、お父様達は陛下とお話があるから。また後で来るからな」
「はい」
◇
 包帯を替えてもらい、フルーツを少し食べてお薬を飲んだら、両陛下がお父様とお母様と一緒にお部屋に来られて。国王陛下が事の顛末を話して下さった。
 ブレーニー夫人は私が生意気な事を言ったから、カッとなって私の頭にティーポットを投げ付けたのだと。そして椅子から倒れ落ちた私に馬乗りになり首を絞めたと。
(殺したいくらい私の事が嫌いだったのかしら)
 物凄い音に、ドアの外に控えていたドケーシス家の侍女が部屋に飛び込んで、ブレーニー夫人に掴み掛かり大声で人を呼んだそうだ。
(今日はアニタが付いて来てくれてたんだ……?)
 部屋には氷が散らばっていて、私の掌の痕に気付き夫人を尋問したところ、私への虐待を自供した。
(虐待? ……あれは虐待?)
 そして陛下は重々しく口を開いた。
「……王家が厳選した教師が王太子の婚約者に日常的に虐待を行い、ましてや殺害未遂などという醜聞を表に出す訳にはいかない」
(殺害未遂……本当に死ぬところだったんだ)
 今更、実感が湧いてきて体がガタガタと震え出す。
「大丈夫よクレア……もう捕らえたから。あなたの身は安全よ」
 王妃様が私に駆け寄り、そう言って手を握ってくれた。
「クレア……そしてドケーシス公爵夫妻。どうか此度の件は内密に願いたい」
 そう言って国王陛下が頭を下げられた。お父様は強く手を握りしめて。
「……陛下に頭を下げさせておいて否とは言えません。その代わりあの女に相応以上の罰を与える事をお約束下さい!」
「約束しよう。すまないな」
 お父様とお母様は陛下に頭を下げた。
「……あの」
「どうしたの? クレア」
 私の小さい声を王妃様が拾って下さった。
「私も一つだけいいでしょうか……」
「なあに? 何でも言って」
 王妃様が優しく聞いて下さる。
「今回の事全部……ウィリアム様には知らせないでほしいんです」
 大人達は皆んな驚いた顔をして私を見ている。
「それは何故?」
 王妃様がとても優しく聞いて下さったから、私は目からポロポロと涙が溢れてしまった。
「は……恥ずかしくて……虐待されてたなんて……知られた……く……なぃ……うぅーーーっ」
 お母様もボロボロ泣き出して、お父様に抱きしめられている。王妃様は涙を浮かべて私を抱きしめてくれた。陛下は私のところまで来て優しく頭の包帯の無い所を撫でて。
「約束する。絶対ウィリアムには知られない様にしよう。今後も……クレアの願いは可能な限り最大限叶えると誓おう」
 ブレーニー侯爵夫人は離縁され爵位を剥奪。国外追放になったと聞かされた。
◇
 学園の高等部に上がっても、ウィリアム様は相変わらず。時折とはいえ見ず知らずの令嬢に過度に優しい。ただ今まではどこかの令嬢に優しく接した後、私には普段よりもっと優しく接してくれてたのに……最近はそれが無くなってきた。
 ヒソヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソ……ヒソヒソヒソヒソ……。
 ウィリアム様の優しさには必ず私を卑しめる言葉が追いかけてくる……最近あまり眠れない。
◇
 ウィリアム様がまたパーティで最初のダンスをどこかの令嬢と踊った。
 ヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソヒソ……ヒソヒソヒソ……。
「格式のある場では、形式に則った行動をお願いします……」
「気をつけるよ……」
◇
 どこかの令嬢とウィリアム様が腕を組んで歩いていた。
 ヒソヒソヒソ……くすくす……。
 ヒソヒソヒソ……くすくす……。
「人目のある所で奔放な振る舞いは困ります……」
「気にし過ぎだ……」
◇
 ウィリアム様が庭園でどこかの令嬢の髪に花を挿していた。
 ヒソヒソヒソ……くすくすくす……。
 ヒソヒソヒソ……。
 ヒソヒソヒソ……ヒソヒソヒソ……。
 くすくすくす……くすくすくす……。
 くすくすくす……。
「相手に気を持たせてしまう様な行動はお控え下さい……」
「別にそんなつもりはないよ……」
 くすくす……くすくすくす……くすくす……くすくすくす……くすくすくす……くすくすくす……くすくすくす……くすくすくす……。
 何度窘めてもウィリアム様はやめてくれない……。
◇
 誰にでも優しいウィリアム様。今までは見ず知らずの令嬢に一度か二度……特に優しく接しただけだったのに。二学年に上がった頃から特定の令嬢に何度も親しく接する様になった。
「クレア様はお美しいけどウィリアム様の好みじゃ無かったのね」
「王族の婚約者ってやっぱり身分第一だからウィリアム様も仕方無かったんじゃない?」
 くすくす……くすくすくす……。
 こんな事を言う人はごく一部だって分かってる。私に親切に仲良くして下さる方もいっぱい居る。幼馴染のヘクター様も心配して声を掛けてくれる。ちゃんと分かってる……。
◇
「聞いた? 最近ウィリアム様は[絵ガラスの君]と懇意にされてるんですって」
 学園の廊下を歩いていると令嬢達の噂話が聞こえてくる。絵ガラスは図書室にあるステンドグラスの事だ。麗しい令嬢が放課後いつも図書室に居る。その令嬢にウィリアム様は毎週の様に会いに行くのだと。
 私はそれをちゃんと知っている。だってウィリアム様がそう言ってるから。
「今日も図書室でティア嬢に会うんだ」
「……そうですか」
 私は微笑むしかない。
◇
「ねぇ聞いた? 最近ウィリアム様は[草原の麗人]と親しくしてるんですって」
「よくご一緒に遠乗りに出掛けてるんでしょ?」
「トリステス様って活発でお美しくて……素敵よねぇ」
 ウィリアム様は放課後やお休みの日にも時々……乗馬部に行って遠乗りを楽しむ。
 放課後久しぶりにウィリアム様とお茶をした。
「明日はトリステス嬢と遠乗りに行く予定なんだ」
「……そうですか」
 私はちゃんと笑えてる。
 私はちゃんと笑えてる。
 私はちゃんと笑えてる。
「……じゃぁ。また来週」
「……はい」
 そう言ってウィリアム様は学園内のカフェテリアから去って行く。夕暮れのオレンジの光が窓から差し込んでくる……。
「……遠乗り……良いなぁ……」
 窓に向かって溢した私の言葉は誰にも拾われない……。
◇
「[マリーゴールドの令嬢]って知ってる?」
「知ってる知ってる。最近よくウィリアム様と一緒に居るのを中庭で見かけるわ」
「珍しい髪色よね。鮮やかなオレンジ色。とっても華やかで。お顔も可愛らしくって。ウィリアム様と並んでると目立つのよね」
 また聞こえて来る噂話。
(知ってる……ウィリアム様が言ってた)
『最近、一学年の令嬢と仲良くなったんだ』
 いつもの昼食の時間ウィリアム様はそう言った。
『そうですか』
『……珍しい髪色でね。マリーゴールドみたいな鮮やかなオレンジ色なんだよ。とても可愛らしい令嬢で妹がいたらこんな感じかなって思うよ』
 私はニコニコ笑ってその話を聞く。
『……明日の昼食はその子と中庭で食べる約束をしたんだ。良いよね?』
『分かりました。では私は友人と摂る事にします』
 私がニッコリ笑うと、ウィリアム様もニッコリ笑った。その後は何の会話も無かった。
 高等部に上がって生徒会に入ったウィリアム様は、とても忙しくてあまり時間が取れない。その少ない時間を懇意にしている令嬢達にも割く様になって、学園で私と過ごす時間はどんどん減っていった。
◇
「クレア様……放課後にお時間取れますか?」
 昼休みに話しかけてきたのはヘクター様の婚約者、エタンセル・フラム侯爵令嬢だった。
 学園の実習室。数人で取り組む課題などをする時に、申し込んで使う教室。
(わざわざ教室を押さえるなんて……人に聞かれたく無いお話かしら?)
「いつまで静観なさるおつもりですか?」
 二人きりの実習室にエタンセル様の声が響く。
「……ウィリアム様の事?」
「そうです! 最近のウィリアム様の行動は目に余るものがあります! クレア様はこのままで良いのですか!?」
 エタンセル様は悔しげな顔で声を荒げて言ってきた。私が目を丸くして驚いているとエタンセル様は続けた。
「ウィリアム様のクレア様を蔑ろにする行動のせいで一部の……心無い者達の! クレア様を中傷する発言も許せないんです!」
(蔑ろに……やっぱりそう見えるんだ)
 見たく無かった現実を突き付けられた気がした。ふるふると微かに体を震わせて私に訴えるエタンセル様に、私の事を想って言ってくれてると分かっていても……息が苦しくなった。
「……何度も言ったのよ……でも、やめてもらえないの……お母様伝えで王妃様からも注意して頂く様お願いしてるの……ウィリアム様は私がお嫌なのかもしれない……それならって……お父様に婚約を見直せないか……って……それは難しい……って……ヘクター様からも注意してるって……それは聞いてるかしら? ……でも、ウィリアム様は……どうしてかしらね……ほんの少しで良いから……少しでも慎んでもらえたら……」
 そう言った後俯いた。
(必要の無い事まで言ってしまった……)
 恥ずかしくて……情けなくて……エタンセル様の顔を見る事が出来なかった。
「心配してくれてありがとう」
 そう言って私は教室を出た。
 毅然とした態度を……声を荒げてはいけない……背筋を伸ばして……美しい所作を……涙を見せてはいけない……公正に……顔を上げて……微笑みを絶やさず……全ての声に耳を傾けて……的確な判断を……。
 あと……何だっけ……何だっけ何だっけ……。
◇
 最終学年に上がって一ヶ月程経った頃。ウィリアム様が懇意にしているリール・シリッカ子爵令嬢に話しかけられた。
「ドケーシス公爵令嬢様。初めてお目にかかります。シリッカ子爵家のリールと申します」
(鮮やかなオレンジの髪……ウィリアム様の言ってた令嬢ね)
「……初めまして」
 私はニッコリと笑顔で返す。
「ウィリアム殿下には一学年の頃から親切にして頂いて……とても感謝しております」
 噂通りに満面の笑みがとても可愛らしい。
「……そう。……ウィリアム様はとてもお優しい方ですものね」
「……」
 リール嬢は一歩近づいて。
「今日の放課後……少しお話がしたいのです。中庭でお待ちしております」
 誰にも聞こえない程の小声でそう告げた。
「では失礼します」
 リール嬢は私の返事を待たずにお辞儀をして去っていった。
 息が苦しい。
◇
(行かなくても良いのに……)
 放課後……殆どの者が帰って静かになった学園。
(行くべきではないのに……)
 中庭……中心にあるシンボルツリーの側に居るリール嬢……それと……ウィリアム様。
(来てはいけなかった……)
「私の初めての口付けはウィリアム様に差し上げたいのです……この先、どんな縁談が来てどんな方と結ばれようと……初恋はウィリアム様だったと覚えておきたいのです」
 帰らなきゃ! 帰らなきゃ! 帰らなきゃ! 今すぐ! 動いて! 振り返って! 帰らなきゃ!
 足が入り口から動かない……。
 手が壁から離れない……。
 ウィリアム様はリール嬢の頬を包み込む様に手を添えて上向かせ……ゆっくりと口付けを落とした。
 声が出ない……息が……胸が苦しい……握り込む右手が痺れる……。
 ─耐えられない─
 ウィリアム様の唇がリール嬢から離れた瞬間私は走り出した。
「あぁ……もう……無理……耐えられない……約束したのに……」
 溢れる涙を止められない……。
◇
 どうやって帰ってきたのか……気付けば自室の鏡の前に座っていた。いつの間にか涙が止まっている……。
(ウィリアム様は覚えてなかったんだ……)
 まだ婚約を結ぶずっと前、ウィリアム様と一緒にお出掛けする馬車の中から教会が見えた。結婚式を挙げていた……。
『うわぁ結婚式だー 花嫁さんキレイ! とっても素敵!』
『キレイだね。きっとクレアの花嫁姿も素敵だよ』
『聞いて! ウィリアム様! お父様とお母様はお互いの初めての口付けが結婚式だったんだって!』
『! えっ! あっ……そうなんだ』
 ウィリアム様の顔が赤くなっていた。私は胸の前で手を組んでうっとりしながら。
『素敵でしょう……私もそうが良いなぁ……そうだ!』
 ウィリアム様に視線を合わせて。
『もしも! もしもよ! 私とウィリアム様が婚約出来たら私達も初めての口付けを結婚式でしましょ』
『─ぃぃよ』
 ウィリアム様は真っ赤な顔で頷いてくれた。
『きゃあ! 約束よ! ウィリアム様』
 ふらりと立ち上がり浴室に向かう。
(何も考えたく無い……)
 浴室にある衝立の向こう側、石鹸やブラシが置いてある棚。以前、眠れなくなった時にお医者様が処方してくれた睡眠薬を、アニタがこの棚に仕舞ってた。
「……あった」
 青い瓶の中に薄いピンクの液体が入ってる。瓶を持って空の浴槽の中に入り、栓をして水を入れる。
(冷たい……満水になれば頭まで浸かる)
 睡眠薬を飲み干し、瓶を側のサイドテーブルの上に置いて蹲った。
(……ウィリアム様なんて大っ嫌い……)